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Harry Potter

 そいつはハリーにとっては永遠に忘れることの叶わない、亡霊のような存在だった。
 うねる艶々とした黒髪に、怒りに支配されると血の色に染まるオニキスの瞳、加えて人を惑わすその美貌。常に冷笑を湛える薄い唇からは、毒を孕んだ甘い囁きが吐き出され、次々と愚者を籠絡していく。
 男は嘗て言っていた。
 己はやろうと思えば誰でも魅了することができるのだ、と。そして、その言葉は紛れもなく事実であった。彼の甘言に踊らされ、彼の美貌に目が眩み、闇の帝王を盲目的に信奉崇拝する者は彼亡き後も現れ続けた。何度も、何度も、新たに生まれては今度こそ英雄を屠らんと牙を剥き、自らの命すら省みずに杖先を向けてくる。あの男の存在を忘れるなとでもいうかのように、何度も……。
「被害者たちは総じて『悪魔のように美しい男を見た』と言っていたらしい」
 だから、あの男と特徴の一致する目撃証言があったと、部下から報告が上がってきた時。真っ先にあの男の名前が脳裏に浮かんだ。彼が好んで使っていたヴォルデモート卿という通り名のアナグラム、且つ真名であるトム・リドルの名を。
(まさかそんなはずは……)
 あの男は確かにハリーが殺したはずだ。その証拠に、ハリーの中に宿っていたリドルの魂のカケラは失われ、蛇語を話すことはできなくなったし、定期的に苛まれていた悪夢だってすっかり見なくなった。何より、この胸にぽっかりと空いた風穴に、形容しがたい喪失感がいつまでも吹き荒んでいる。
「局長。マグル界において、そいつは殺人を繰り返すシリアルキラーとして名が知られ始めています」
「……」
「魔法を使った痕跡がある以上、このまま放置しておけば、我々魔法界の存在がマグルたちに知れるのも時間の問題かと。これは早急に対処すべき案件です」
 魔法大臣となった旧友から直接案件が回ってきた時点で、嫌な予感はしていたのだ。せっかく瘡蓋となり塞がっていた古傷を、再び容赦なく抉られる、そんな予感が。
「この案件は私が担当する」
「えっ……しかし、」
 すっかり自分に回されるのだろうと思っていた部下の、色濃い隈が刻まれた目が僅かに見開かれる。
「これは私が出るべきだと判断した。だから私が直接担当する」
「局長、なにも局長自ら出向かなくとも……」
「いいや、これは私が担当すべきだ。君は急ぎ魔法省へ向かい、グレンジャー魔法大臣に事の次第を報告してくれ」
 すっと杖を一振りし、ポールハンガーに吊り下げられていたコートを引き寄せる。そのまま袖を通し手早く身支度を調えてしまえば、未だ動揺を隠せぬ様子の部下が、唖然とハリーの方を見上げていた。まぁ、その反応も理解できる。既に山のように案件を抱えているせいで、ハリーの机の上にはいくつもの書類の山が出来上がっている。おまけに仕事の多忙さ故に恋人にはフラれ、以来ずっと独身を貫いて仕事に没頭する日々だった。そんな状況にもかかわらず、自らこれ以上仕事を増やそうとするだなんて、ついに頭がイカレたと思われてもしかたない。
「局長、やはり私が……」
「仮眠以外で君がちゃんと睡眠を取ったのは何日前だ?」
「……」
「一昨日はボージンの強制捜査、昨日はその後始末に追われ終日デスク詰め、そのままほぼ徹夜で今朝の呼び出しの対応……」
「局長、局長、わかりました。私の負けです。えぇ、えぇ、今回は私が引きましょうとも。その代わりに泥のように眠ってやりますとも」
 口煩い部下を黙らせることに成功したので、ハリーはそのまま扉の方へと向かう。省内で姿くらましが禁止されているのは実に不便だ。いちいち専用の出入り口から出入りしなくてはならないなんて、前時代的にも程がある。しかし実際に結界に阻まれて手足がバラバラになった者がいるというのだから、迂闊に姿くらましを使うわけにもいかず。らしくもなくハリーは、省の定めた規律を律儀に守ってやっている。
「ちなみに私は何徹目だと思う?」
 去り際に、ニッと口端を吊り上げて部下へ問う。
「はぁ……? 二日とかですか?」
「五日目だよ」
「えっ! ちょ、局長! お待ちください局長! アンタ死にたいのか! おい!」
 鞄の中に詰め込んでいた透明マントを羽織り、部下の追求から逃れた。ランナーズハイとはこういうことを言うのだろうか。最後に見た部下のマヌケ顔が、無性におかしくて堪らない。今ならロックハートのクソ寒い小テストですら、大爆笑できる自信があった。
「……さて、気を引き締めないとね」
 パチンッ!
 両手で頬を叩く。緩んだ気持ちを引き締めて、改めて頭に詰め込んだ事件の概要を反芻した。
 今まで殺害された被害者の数は六名。いずれも癖のある黒髪に緑色の目をした、十代から二十代までの白人男性が狙われている。犯人はイングランド南東部を中心に繰り返し凶行に及んでおり、犯行ペースも週に一度とかなりの高頻度なことから、今後も多数の被害者が出ることを危ぶまれていた。
「おまけに被害者の遺体には、必ず額に稲妻のようなマークが刻まれている……」
 そこまでご丁寧にカードを揃えられたら、誰だって容易に予想がつくというものだ。犯人の本当の狙いが誰なのかということは。
「だから、私じゃなければならないんだ……」
 ホルダーに入れた杖の柄を、ぐっと握り締める。
 今では英雄のシンボルマークと化した額の傷が、じんと熱を持ち疼いた。冷え切った死体の如く長年沈黙を続けていたそれが、今になってどくどくと脈打っているように感じるのは気のせいか。こんなところにまであの男の気配を嗅ぎ取ってしまう、己の未練がましさに嫌気が差して、ハリーは固く瞼を閉ざした。

 ――あぁ、きっとこの悪い予感は当たるだろう。

 そんな確信を胸に抱いて。


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