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TOKYO卍REVENGERS

終章 浮雲尽きし碧落の風

 春昼。背を照らす陽光は温かく。いつもより早起きしたこともあって、朝から欠伸が止まらなかった。
 机の上で開きっ放しになっている卒アルを、ぼんやりと眺める。最終ページの白紙には、下手くそな落書きと新たな門出を祝う言葉たち、それから新生活へ向けた応援メッセージが、隙間なく書き込まれていた。
(タクヤ、アッくん、マコト、山岸、それから……)
《三年間ありがとう。お互い高校に行っても頑張ろう! 橘日向》
 ありふれた言葉の羅列を、何度も指でなぞる。
 武道とは別の高校に通うのだという日向とは、再び道が重なることはないのだろう。それならば、彼女を全力で愛していた過去の自分の想いに、最後くらい報いてやってもいいかと思った。だから、クラスの違う彼女の下へわざわざ足を運び、勘違いした周りに揶揄われながらも、寄せ書きを書いてもらったのだ。
(そりゃそうだよな。三年間、オレらは一度も同じクラスにならなかったし)
 彼女と話した回数なんて、それこそ一回か二回程度だ。関わりが薄ければそれだけ内容も薄いものになる。だが、これでいい。彼女との出会いを無かったものとしたことに、後悔はない。
「それでは最後のホームルームを始める。今日の日直は……佐々木」
「はい。きりーつ」
 三階の窓から外を見下ろすと、満開に咲き乱れた桜の花が、白波の如く揺れていた。
「礼」
「おはようございます」
 視界の端で白いカーテンが靡く。ほんのりと甘い香りがして、いよいよこの学び舎を卒業するのだという実感が湧いてくる。この生地が毛羽立った中ランも、膝の辺りが擦り切れているボンタンも、卒業すれば袖を通すことはない。もう明日からはこの教室へ来ることもないのかと思うと、純粋に寂しさを覚えた。
「私は今年で定年だ。長かった教師人生も、君たちの卒業と共に終えることとなる。そんな私から、一つだけ。人生の先輩としてアドバイスをしようと思う」
 話し好きであった担任教諭が、何処か遠くを見つめながら語り始める。
「この三年間で出会った友人たちのほとんどが、大人になれば縁遠くなっているものだ。だが、不思議なことにずっと続いていく縁もある。どうか、そういう一握りの縁を大事にして欲しい。いつでも傍にいるのが当たり前なのだと、思わないで欲しい」
 昨日まで隣で笑っていた家族が、恋人が、友人が、突然死ぬことがある。
 死ぬことはなくとも、もう二度と手の届かない遠くへ行ってしまうことだってある。嫌というほどそのことを知っている武道には、あまりに刺さる言葉であった。
「……友は宝だ。本当に」
 あの教師もまた、誰か大切な人を亡くしたのだろうか。皺だらけの目元に、涙が光る。
「君たちと出会えて良かった。楽しい時間を……ありがとう」
 教室の至る所から鼻を啜る音がした。いつもなら十分近く喋り続ける担任が、今日に限って話が短い。
 あの教師の言葉の重さを正しく受け取っている者が、この中でどれだけいるのだろう。胸を裂く切なさに襲われて、泣くこともできず懐古に耽る武道は、きっとこの小さな箱庭の中では異様であった。
「起立」
「礼」
「ありがとう、ございました……っ!」
 校門横に立て掛けてある看板の前は、記念写真を撮ろうとする生徒や保護者でごった返していた。
 胸ポケットに造花を刺した生徒たちの間を、縫うように歩く。
 タクヤたちへの挨拶は既に済ませた。どうせ同じ高校に通うことになるのだ。あまり大袈裟に騒いでも、後で恥ずかしくなるだけである。一言二言声を掛け合って、そのままあっさりと別れるくらいが丁度良かった。
「あ、もう待ってる。やべっ」
 雑踏の中、穴が空いたみたいに人が寄りつかない一角がある。
 空洞の中心には一目見てヤバそうな改造車両と、不良たちの屍を椅子代わりにしている男が一人。普通なら関わり合いになりたくないからと遠巻きになるところを、されど武道は構わず進んでいく。
「すいません! さっきホームルームが終わりまして……!」
 退屈そうに座り込んでいた青年が、さっとその場で立ち上がった。黒々とした双眸が武道を映した途端、整った顔がパッと嬉しげに輝く。可愛いなぁ。最近彼がバッサリと髪を切ったこともあり、こうして子どもみたいな仕草をされると、無性に頭を撫でてやりたくなるのだ。
 とはいえ彼に対して童顔関係の話題を出すのは、自殺行為だと知っているので、口が裂けても言わないが。
「タケミっち! 遅い!」
「ごめんなさい……」
「シンイチローから苦情きてんだワ。帰りが遅いご主人様のことが気になりすぎて、あのクソ犬ぜんっぜん使い物にならねぇってよ」
 乾は中学を卒業してすぐに真一郎の店で働き出した。将来はバイク屋をやるのが夢らしい。同じく真一郎の店で下積みをしている龍宮寺とは随分と打ち解けたようで、よく拗ねた九井から愚痴を聞かされていた。この感じなら乾と龍宮寺がD&Dを始める日も、そう遠くないかも知れない。
「いたいた! タケミチー!」
 不意に名前を呼ばれて振り返る。
「あれ、タクヤ?」
 人混みを掻き分けやってきたのは、武道の幼馴染みだった。千堂たちの姿はない。卒業式が終わったら、いつものゲーセンに行くと言っていたので、恐らく一足先に向かったのだろう。
 タクヤは相当急いだのか息を切らしており、手には三枚の紙を持っていた。
「あ、マイキー君ちわッス。これ、この前言ってた映画のチケット。渡し忘れてたからよ」
「え? あぁ! すっかり忘れてた! ありがと!」
「三枚あるからマイキー君たちと行ってこいよ。じゃあ高校で!」
「おう! またな!」
 用件だけ告げてそそくさと去って行った幼馴染みを見送り、受け取ったチケットを鞄にしまう。その一連のやり取りをじっと眺めていた万次郎は、武道にヘルメットを投げて寄越すと、穏やかな声で言った。
「ダチは宝っていうからな。大事にしろよ」
 ここ数年で時折大人びた表情を浮かべるようになった恋人を、無言のまま見上げる。
「……マイキー君ってさ」
「ん?」
「ほんとに中学生?」
 音が、消えた。
 少年少女のはしゃぎ声も、あちこちで鳴るカメラのシャッター音も、学舎から校門までを繋ぐ桜並木の葉擦れの音も全部、霞のように消えていった。
「……は?」
「あ、間違えた! もう中学卒業してたか!」
 息の詰まる静寂が破られる。
 久しぶりに会った親戚のおじさんみたいなことを言ってしまった。気恥ずかしくなり顔を俯ければ、頬を抓られ無理矢理上を向かされる。
「ほんっとバカだなぁ、タケミっちは♡」
 ほら、もたもたしてっと置いてくぞ。
 こちらに背を向けて歩き出した万次郎を、慌てて追いかける。この男はやるといったらやる男だ。ちんたらしていたら本当に置いて行かれてしまう。
「えっ、ちょっと待ってください! 送ってくれるんじゃなかったんすか!」
「ははっ! ほーら追いついてみろよ!」
「はやっ⁉ いやいや、オレがアンタに勝つなんて無理に決まってんでしょうが! ガキかアンタは!」
 地面に降り積もった桜色の絨毯のように。
 色褪せることなく、鮮やかに伝説は語り継がれていく。
「あーあー、可愛くないコト言っちゃって。タケミっち生意気過ぎ。マジで置いてこ」
「あ、ごめんなさい! 待って! 待ってってば、マイキーくん!」
「やだ〰」
 未来が今となり、今が過去になっていく。
「万次郎! 待って!」
 タイムリープの力は失われた。
 等身大の花垣武道ができることなど高が知れている。しかも、ここから先はまったくの未知の世界だ。正直怖くないと言ったら嘘になる。けれど、もしもまた誰かが窮地に陥ったなら、武道は躊躇う事なくその手を差し伸べるに違いない。たとえ時を超える力が無くたって、絶望的な状況だって、何度でも。
「わ、……っ」
 春風が駆け抜け、門出を祝う花吹雪が舞い上がる。
 思わず足を止めて見惚れていれば、「タケミっち!」と不機嫌そうな声が飛んできた。慌てて視線を戻すと、拗ねてそっぽを向いた青年が、愛機に跨がり武道を待っている。
「佐野せんぱーい!」
 高校の制服に身を包んだ愛しい人が、ギョッと目を剥き驚いた。よっしゃ、ドッキリ大成功。こう呼んだら万次郎は度肝を抜かれるぞ、と教えてくれた真一郎君には後で御礼をしなくては。
「え、ちょ、まっ……タケミっち、今の……」
 動揺のあまり言葉を失っている彼へ、ニカリ、と笑いかけてやる。
 夏の太陽にも、大輪の向日葵にだって負けない。
 この世すべての幸福を束ねたブーケのような、最高の笑顔で。
「新入生の花垣武道です! 今年の春からよろしくお願いします!」
 願わくば、行く当てのないこの旅路に、幸多からんことを。
 いや、神頼みなんてガラじゃねぇか。
 この美しい春に誓う。
 オレが、この手で皆んなを幸せにするんだ。


【RE 完】

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