第漆話 龍虎乱世
二〇〇五年六月二十五日 二十二時〇〇分 武蔵神社
見慣れた黒い特服を着た男たちが、自分の姿を見るや否や一斉に頭を垂れる光景を、佐野万次郎は何の感慨もなく見下ろした。渋谷を拠点として活動する、都内有数の暴走族チーム・東京卍會の定例集会。数百人という隊員たちが今、万次郎の一声に応えて武蔵神社に集結している。
「まずは各隊長からの定期報告な。壱番隊隊長・場地圭介!」
「はいよ」
隣に立つ龍宮寺が声を張る。
各隊から続々と報告が上がる中、万次郎は一言も声を発さず、ぼんやりと彼らの言葉を聞き流した。今のところ特に興味を惹かれるものはない。自由人且つ飽き性な万次郎は、根っからの気分屋であり、元来じっとしているのが苦手なタチだった。込み上げる欠伸を噛み殺し、時折隣から龍宮寺に肘で小突かれつつ、最後の隊の報告が終わるまで大人しくしておく。居眠りをすると龍宮寺がとやかくうるさいのだ。
「てなわけで、肆番隊からの報告は以上だ」
「おーし、んじゃ次。伍番隊隊長・武藤泰宏」
「はい。伍番隊では本日二十三時に、黒龍が大規模な集会を開くという情報を入手した。現在は伍番隊の潜入班員に状況を探らせているところで……」
「大規模な集会?」
ぽつり。唐突に万次郎が反応を見せ、東京卍會の面々は反射的に身構える。
過去、黒龍が代替わりをしたという話が出た時に、万次郎は手がつけられないくらいに荒れたことがあった。親友である龍宮寺や、幼馴染みの場地と三途が全力で止めに入ったにもかかわらず、箍が外れた万次郎の暴走を止めることは叶わず。結果、その時運悪く東卍とやり合っていた敵チームのメンバーに、その狂気の矛先が向けられることとなった。
必要以上に殴られ続けた敵チームの総長は、意識不明の重体に陥った。また、敵味方問わず隊員たちも数十名が重軽傷を負い、三台もの車両が木っ端微塵に破壊された。血塗れになった三途が、「『タケミチ』にクソほど嫌われるぞ!」と叫ばなければどうなっていたことか。あの場にいた誰しもが、もしもの可能性に思い至り、肝を冷やしたのであった。
「ムーチョの奴、あんな話題出して大丈夫なんだろうな」
「殺されても知らねぇぞ……」
そんな出来事があって以来、万次郎の前で黒龍の話題を出すことは禁忌となっている。やむを得ず名前を出す際は、より慎重な対応が求められるようになった。ちなみに、場地と三途は余程のことがない限り、黒龍のブの字すら決して口に出さないほど、徹底した態度を貫いている。
「今日は確か……」
万次郎が溢した言葉に、場地が反応する。
「あぁ、『タケミチ』の誕生日か」
「こんの、バカが!」
「イッテ!」
てんめぇ、何しやがる!
憤慨する場地の脇腹を、三途が容赦なく蹴り上げる。そのまま殴り合いの喧嘩へと発展した二人を、慌ててそれぞれの部下が制止に入った。収拾がつかなくなってきたところで、万次郎は幼馴染み二人から意識を逸らす。それより気になるのは黒龍の動きだ。よりによってこの日に、大規模な集会をするだなんて。どうにもきな臭い。
「で、黒龍はなんで集会なんて開くわけ? アイツら元々平日しか集まんねぇじゃん。暇人だから」
「十一代目総長のお披露目式が行われるそうです」
「お披露目?」
どういうことだ。集会所が一気に騒がしくなる。
黒龍総長といえば、十一代目にあの柴大寿が就任したらしい、と二年ほど前に噂になっていたはずだ。元々秘密主義な気質を持つ謎多きチームである。さらには徹底的な情報統制が敷かれ、外部の人間はなかなか内情を掴むことが難しかった。ただ、いつも表舞台に立ってチームを率いていたのは大寿だったので、周りは勝手にあの男が総長なのだと思い込んでいたのだけれど。それが今更お披露目式とは。黒龍は何がしたいのか。
(まさか、)
ズ、と万次郎の胸が重たくなる。
気分が悪い。胃液が迫り上がってきて、今にも吐いてしまいそうなほど腹の底がムカついてきた。一瞬、遠い過去の記憶が色鮮やかに蘇る。万次郎へ無防備に笑顔を向ける、あの憎らしい男の顔。今となっては、もう二度と見ることのない情景が、浮かんでは消えてゆく。
儚く、脆く。
真夏の蜃気楼のように、晩春の花吹雪のように。残酷に思い出が輪廻する。
「黒龍内部では、元々十一代目総長とされていた柴は、仮の総長であると共有されていたようです」
「仮の総長?」
「はい。本命の総長は別におり、柴大寿はあくまで総長代理兼副総長であると……」
布石は打たれていた。恐らく二年前のあの日から。
逆算すれば柴大寿が総長として担ぎ上げられた頃、武道はまだ小学六年生だった。チームに入るのは難しい年齢である。それに当時の黒龍は堕ちるところまで堕ちていた。まだ小学生の子どもを、そんな荒れ果てた暴走族のトップに据えるのは、かなりの危険を伴う博打であったに違いない。だからこその総長代理なのだろう。表向きのトップとして柴大寿が動くことで、本来の総長である武道を守っていたというわけだ。見事なまでの献身である。
(ふざけんな)
率直に言って腹が立つ。腸が煮えくりかえるなんてものじゃない。殺意に限りなく近い妬心が、理性をメラメラと焼き焦がした。そんな重大な内部事情が、これまで一切外部に漏れることがなかったという、その宗教じみた団結力が忌ま忌ましい。それほどまでに武道が黒龍の人間から慕われているのだと思えばこそ、強烈な不快感が我が身を苛んだ。
「……ケ、ミっち」
とことん思い通りにいかない、万次郎の妄執の塊。
なんで、どうして、あんなに欲しいと手を伸ばしたのに。傍にいて欲しいと乞うたのに。昔からそうだ。万次郎が欲しいと思ったものは、全部掌から擦り抜ける。気がつけば偉大な兄の両手に、万次郎の欲しがったものが収まっている。
「十一代目総長のお披露目式が終わった後は、都内の各拠点の代表メンバーたちと合流し、千葉の『木更津洲照羅』と同盟を結ぶため、九十九里へ向かうそうです」
「……そうか」
武道の宣戦布告した通りに、黒龍は再び空へと駆け上がった。今では東京卍會と並ぶか、それ以上に規模の大きい有名なチームとなり、嘗て東京制覇を果たした初代の再来とまで謳われ持て囃されている。
絶対に逃がさない。これ以上、先へ行かせて堪るか。手の届かない場所へ飛んでいってしまう前に、何とかしてその翼を引きちぎり、万次郎のいる場所まで叩き堕としてしまわなければ。あぁ、その薄情な両足を掴んだら、一体どうしてくれようか。そうだな……まずは頑丈な枷を嵌めて、もう二度と万次郎を拒絶することのないように、傍に縛りつけてしまえばいい。それから、よそ見した隙に逃げてしまわぬよう、丁寧に心を手折ってみせよう。
八重咲きの花を摘むように、泣きたくなるほど優しい手管で。
「潰しにいくぞ」
隊員たちの目が、ギョッと瞠られた。龍宮寺は何を言っているのか、と言わんばかりに驚愕の表情を露わにしている。取っ組み合いの喧嘩をしていた場地と三途も、息を呑んで万次郎の様子を窺っていた。己に向けられる幾多もの視線の数々が、いやに煩わしい。
「黒龍と洲照羅の同盟をぶっ潰す。今度こそアイツらを再起不能にしてやる」
「マイキー、それは……」
「お、おい、マイキー。前から思ってたけど、何でそこまで黒龍を目の敵にすンだよ」
いち早く硬直が解けた三ツ谷が、戸惑いがちに問う。
「二年前、黒龍とカチ合ったら潰せってオレらに言った時も、なんかおかしかったよな? 黒龍との間に何があったんだ?」
――マイキー君、ごめん。オレ、東京卍會には入らない。
ああ、雨の匂いがする。
じっとりと肌に纏わりつく湿気た空気。濁りきった鼠色に染まる曇天。息が詰まりそうだ。薄い膜に鼻と口を覆われているかのような息苦しさに、いっそ暴れ出したくなる。あの日を思い出す度に、凶暴な身の内の獣が唸りを上げた。アイツの喉元に喰らいつけと、逃げようとする背中に爪を立てろと、しつこく耳元で囁いてくる。
「……、」
頭が、痛い。
まずいな。漠然と危機感を覚えた時だった。
「ゴチャゴチャうるせぇんだよ!」
ダンッ!
三途がその場で地団駄を踏んだ。突然の咆哮に我に返って、万次郎は泥濘みに沈みかけていた思考を浮上させる。周りも同様に突然の暴挙に驚いたようで、皆万次郎から三途の方へと意識を持っていかれたようだった。だが、そんな周囲の注目などまるっと無視して、三途は狂ったように金髪を振り乱し、ダンッダンッと足を踏み鳴らす。
「マイキーが潰すっつってんだから潰すんだよ! ナニ日和ってんだ⁉ ァア⁉ クソ雑魚カスどもがっ! ぶっ殺すぞ!」
「は⁉ うわ、三途さ、……ぐぁッ!」
「おいハルチヨ! いきなり殴んなって!」
「三途! 止まれ!」
人間とは自分よりも冷静さを失っている者を見ると、正気を取り戻す生き物である。突如として降って沸いた乱痴気騒ぎに、血の気の多い馬鹿どもがヤジを飛ばす中、万次郎は一人こっそりと笑みを漏らした。
もう、己を塗り替えてしまいそうなほどの、黒い衝動の気配はない。
「オレさ!」
散々騒ぎまくっていた隊員たちが、しん、と静まり返る。
「どーっしても欲しいモンがあるんだよな」
「マイキー……?」
龍宮寺が訝しげな声を出した。
「アイツの意思なんて関係ねぇんだわ。オレがオレであるために、アイツが欲しい」
ゆっくりと、頭を下げる。簡単に頭下げるなんて総長失格だワ、などと考えて、されどまったく後悔していない自分を自嘲した。
「頼む。力を貸してくれ」
うおおおおおおお!
雄叫びが轟いた。天上天下唯我独尊。まさに読んで字の如く我が道を行くあの万次郎が、助力を乞うた。『無敵のマイキー』のカリスマ性に惹かれて集まった群衆に、そこまでされて心震わされぬ者などいるはずもなく。
「龍狩りだ!」
誰かが叫んだ。
「何だかよくわかんねぇけど、とにかくヤッちまえばいいんだろ!」
「ひと狩りいこうぜ!」
「バッカそれちげぇやつだろ。てかマジでやりたくなってきたから、今度ウチ集合な」
「あ、なら俺のG級クエ手伝ってくれよ。亜種コンプしてぇ」
釣られるようにして、次から次へと声が上がっていく。異様なまでに熱狂に沸く仲間たちを、創設メンバーたちは一歩引いたところから眺めた。
「うわァ、アイツあれで無自覚とかマジかよ。タケミチのやつゴシューショーサマ」
「何であのドブなんかに……マイキー……っ!」
「なんだ……? だから結局どういうことなんだよ?」
「さぁ?」
幼馴染み二人を除き、未だ事態を飲み込めていない東卍創設メンバーたちは、始まる前に終わったような怒涛の急展開に、理解が追いつかない。
どう考えても愛の告白としか思えない先の宣言。『タケミチ』とやらが誰なのか結局わからないし、万次郎と黒龍の間にある因縁も教えられぬまま。しかし疑問だらけの状況ながら、狼煙が上がったことだけは察した。どのみち引くに引けない状況であることには変わりない。一人、二人、と落ち着きを取り戻していった者から順に、覚悟を決めていく。
「仕方ねぇ、腹ァ括るか」
唖然とそう呟いた龍宮寺に三ツ谷たちも頷いて、彼らは神社前に停めてある愛機の元へと向かった。
夜を駆ける龍を撃ち落とすために。
*
同日同時刻 十一代目黒龍新宿総本部
「お疲れ様です! 総長!」
「お疲れ様です。今日はよろしくお願いします」
新宿某オフィスビルにて、十一代目黒龍の幹部会が粛々と行われていた。
この打ち合わせが終わればすぐに、教会前広場に移動することとなっている。そして、継承の儀を済ませた後は九十九里まで移動し、千葉を取り仕切る老舗暴走族・木更津洲照羅と、同盟を結ぶための顔合わせを執り行う予定だった。なかなかハードなスケジュールであるが、関東統一への足掛かりとなる、初の県外チームとの同盟締結である。多少の無理も甘んじて受け入れよう。
「隊員たちへの事前周知は済ませてあります。後ろ盾を示すために初代黒龍幹部の方々にも参加頂く予定ですし、滞りなくスケジュールは完遂できるかと」
「テメェは相変わらず固えなぁ、アキ」
軽い調子でノリが揶揄う。組織構成の見直しをきっかけに、アキと対等な立場となったノリは、それまでの従順ぶりが嘘のように、随分と砕けた態度を取るようになった。
「お褒めのお言葉ありがとうございます」
「褒めてねぇよ石頭」
「チッ……いちいち突っかかってくんじゃねぇ脳筋野郎が」
「あ? やんのか?」
「はいはい、そこまでにしとけ? イヌピーがそろそろ限界だ」
今にも喧嘩を始めそうな二人に割って入って、九井が乾を指差す。
「花垣の邪魔すんなら容赦しねぇぞ」
愛用の鉄パイプで床をカンカン叩く乾は、苛立ちから青筋を立てていた。今にも殴りかかりそうな様相に、アキとノリが黙り込む。そして、仲が良いんだか悪いんだかよくわからないメンバーたちの戯れ合いに、武道の隣に座る大寿がため息を吐いた。意外とこういう時にはどっしり構え、見守る立場に回ってくれる大寿のことを、武道は密かに尊敬している。
自分なら巻き込まれたが最後、成す術無く振り回されてしまうので。
「では、後は手筈通りに」
パタン。黒い手帳を閉じ、アキが締め括る。
「ん、イヌピー」
「おう」
九井が立ち上がり、手に持った黒い特攻服を乾の方に差し出した。受け取った乾は特服の前を寛げ、花嫁のベールを下ろすかの如く、そっと武道の肩へと羽織らせてくる。その恭しい所作に気恥ずかしさを覚える武道であったが、いくら自分で着ると訴えたところで、乾が譲らないことは知っていたため、虚無の表情でその甘やかしを受け入れた。
おかげさまで彼が武道の身支度を手伝う姿は、黒龍ではすっかり見慣れた光景と化している。中身三十路が男子高校生に世話を焼かれる絵面……心底居た堪れない。
「花垣、俺の後ろ乗っていくだろ?」
「ハイ! お願いします!」
ビルの地下駐車場に停められたフルカスタム仕様のナナハンキラー。乾の愛機だ。主人に招かれるがまま、武道はいつものようにシートへ乗り込む。
武道は自分のバイクを持っていなかった。大寿たちから総長として自分のバイクに乗るべきだと苦言され、オススメのバイクを熱弁されたりもしたのだけれど、どうにもコレという物がなく。やはり一番しっくり来るのはあのバブだったので、のらりくらりと彼らの猛攻を躱しているうちに、今日という日を迎えてしまった。
「お、もう全員集まってるみてぇだな」
集会所に到着してみれば、多種多様のカスタムを施された族車がずらりと並べられている。白い特攻服を着た黒龍の隊員たちは、隊ごとに固まって整列していた。一糸乱れぬ連帯感を見せつけて、幹部メンバーの来臨を待つ一団は、まるで教会へ祈りにきた敬虔な信徒のようだ。とても暴走族とは思えぬ調教ぶりに、武道は流石は大寿だと改めてそのカリスマ性に嘆息する。
「何か予定より多くないすか?」
広場を埋め尽くす勢いの人の山に、武道が問う。すると、丁度大寿のバイクから降りてきた九井が、訳知り顔で説明した。
「新宿総本部のメンバーは全員参加だとよ。各拠点の奴らもかなりの人数が手を挙げたらしいが……流石にスペースに限りがあるからな。拠点は代表五十名に絞らせた」
参加権を賭け、血を血で洗う壮絶な戦いが繰り広げられたのは言うまでもない。汚れひとつない真っ白な特服とは対照的に、やけに傷だらけでボロボロになっている男たちがいると思えば、そういう事情だったのか。まさかそんなことになっていたとは夢にも思わず、武道は軽く目を見開く。自分のお披露目式のために騒がせてしまったようで、非常に申し訳ない。
「ボスのお通りだ! 道を空けろ!」
乾の号令が飛ぶ。ザッと集団の真ん中が割れ、道が拓かれた。壇上へ続く一本道を、総長並びに幹部メンバーたちがゆったりと歩いてゆく。さながら英雄の帰還の如く。堂々たる王者の風格を滲ませて。
「お疲れ様です!」
「花垣総長、お疲れさまです!」
「お疲れサマです!」
通り過ぎる度に投げかけられる挨拶には手を振って答える。そしてついに、最上階へと辿り着いた。
「十一代目黒龍総長の花垣武道です。本日は、オレのお披露目のために集まってくださり、ありがとうございます。……それから、今まで代わりを務めてくれていた大寿君も、本当にありがとう」
フンッ。
真紅の特攻服に身を包んだ大寿が、鼻を鳴らしてそっぽを向く。まったく素直じゃない人だ。これだけ長く傍にいれば、照れ隠しだってことはバレバレなのに。
「まずは改めて、皆にこれだけ言わせてください……」
やっと、ここまで来た。
長い道のりだった。堕ちた龍と揶揄されて、数々の悪行の末に警察からも同族からも、果ては裏社会の関係者からも睨まれた。外部からの風当たりが強かった二年前。翼を失い、地を這う蛇と成り果てた黒龍が、再び空を翔けるために武道たちは奔走してきた。
幹部の総入れ替え、チーム規則の改定、組織構成の見直し、外部組織との軋轢の緩和。反発は多く、結果的に約半数が黒龍を去った。それでも残ったメンバーで協力し合い、時には悪質なチームを潰したり取り込んだりしながら、徐々にその勢力を拡大していった。どれもこれも武道一人では成し得なかったことだ。これまで己を信じてついてきた者たちには感謝が尽きない。
「ありがとうございました」
意識しなくとも頭が下がった。敬意を持って感謝を示す、文句なしの最敬礼。
「一年前、当代総長が中学に上がったばかりのガキだと知って、幻滅した人だっていると思う」
ヤのつく自由業の方々とぶつかった時の話だ。
相手は或る義理と人情を重んじる、古くから影に潜んできた裏社会組織。偶々縄張りを同じくしていたその組織が、カタギに手を出したり、薬の売買をしたりと好き勝手なことを続ける黒龍に痺れを切らし、抗争一歩手前の緊張状態に突入した。流石に相手が相手であったため、素性を隠したまま話し合うのは無理があり、武道は黒龍内部と相手組織の幹部たちにだけ、己の正体を明かしたのであった。
「こんなオレについてきてくれた皆には、感謝してもし足りない。これから先、黒龍が危機に晒された時は、全力で皆を守ると誓う」
ぐっ、と拳を握り込む。
今後、様々な困難にぶち当たることだろう。黒龍の名が有名になればなるほど、今までと違ったトラブルが舞い込んでくるはずだ。現時点で既に、腕試しと称してやたらと他のチームから絡まれたり、どんな手を使っても黒龍を貶めたい、という私怨を抱えた奴らから襲われたりしている。特に武道のことが気に入らなくて黒龍を抜けていった者たちは、前科があるような札付きの悪党ばかりであったから、また手段を選ばず攻撃してくる可能性は高かった。
「何かあったら、オレが前に出る。皆が築いてくれたこの黒龍というチームを、簡単に潰させたりはしない。確かにガキのオレには、皆みたいに道を切り拓くほどの力はねぇ。大寿君みたいなカリスマも、ココ君みたいな頭の良さも、イヌピー君みたいなここぞって時の胆力と根性も。けど盾になることぐらいはできる。あらゆる理不尽な暴力も、恨みつらみも、全部オレが引き受ける!」
誰一人として口を開くことなく、ただ武道の言葉に耳を傾けている。
隊員たちは、ジリジリと火種が燻っているような、今にも叫び出したくなるような、えも言われぬもどかしさに襲われていた。武道の後ろに立っている乾たちも、それは例外ではなく――。
「オレが皆の盾になるから、これからも『黒龍』を頼みます!」
「花垣……!」
「わ、イヌピー君⁉」
「総長ー!」
「花垣総長! バンザーイ!」
乾が耐えきれず武道に飛び掛かり、それをきっかけに隊員たちが騒ぎ出す。感極まって泣いている者もいた。黒龍復活を心から願っていた、初代の意志を継ぐ者たちだ。
「武道」
熱気が辺りを包む中、場の空気を引き締める凜とした声が、武道の名を呼ぶ。
「真一郎君……」
振り返ると初代黒龍の特攻服を肩から羽織り、髪をオールバックにした真一郎が、そこにいた。
二年前の八月十三日。
大寿を紹介するという名目で真一郎の店へ乗り込んだ武道は、そのまま新旧黒龍の幹部メンバーを呼びつけて、強引にお泊まり会を決行した。『万次郎の誕生日プレゼントにするんだ』と言って、真一郎がバブを弄る姿に何度も泣きそうになったのは秘密である。
何も知らずにやってきた場地と羽宮を追い返した際には、ここが真一郎の店であることと、黒龍が拠点としている場所なのだということを伝えておいたので、恐らくもう彼らが盗みに入ることはないだろう。また、あからさまに「まずい」といった顔をした羽宮の隣で、場地は何やら言いたげな顔をしていたが、それに関しては敢えて何も気づかないふりをしておいた。
万次郎についての話なのはわかりきっていたし、今更東京卍會に入るよう説得されても、それは絶対にできない相談だからだ。万次郎と春千夜に加えて、場地とも揉めるのは流石に遠慮したい。
というわけで、真一郎殺害事件は人知れず、未然に防がれることとなったのだった。
「総長就任祝い、まだ渡してなかったろ?」
「え、?」
「ちょっとこっち来い。良いモンやるから」
ニヤニヤと何かを企んだ顔をした真一郎が、有無を言わさず武道の手を引く。突然の乱入にも関わらず、この場の主役を連れ出そうとする彼を、誰も止めようとはしなかった。
「なーんか変態クセェなぁ、真ちゃんが言うと」
「セリフがまるっきり不審者じゃねぇか」
後ろからついてきた若狭と慶三が、いつものように真一郎を揶揄う。
「……っお前らがいるとマジで締まらねぇんだって! やめてくれません⁉」
わいわいと騒ぐ初代の面々に連れられて、辿り着いた先は駐輪場だった。
なんでこんなところに、と小首を傾げれば、一台のバイクが目に入る。ボディ全体を真っ黒なカバーに覆い隠され、静かに佇むその姿。滑らかな曲線を描く美しい躯体が、強烈な既視感を呼び覚ます。
「これ、って……」
「お前にやるよ。万次郎にやったのと双子のバブ」
――じゃーん!
なんの理由も教えられず、戸惑いながら千冬に連れられて行った場所で、満面の笑みを浮かべた万次郎に、このバブを譲られた。
――むせ込んじまいそうな灰色の空の下でさ、
レクチャーしてやる。そう誘われ、万次郎を後ろに乗せながら、初めてバイクを運転した日。クラッチとかアクセルとか色々言われても、よくわからなくて。何度も操作を間違えては急ブレーキを掛けてしまったり、逆にスピードを出してしまったり……散々な初乗りだった。
――天井ぶっ壊れた廃墟に大量のスクラップ。
でも、歌うように思い出を語る万次郎が、とても楽しそうだったから。たとえ下手くそな運転に苛立った彼に頭突きされても、身体を左右に揺さぶられてフラついても、ずっと口元が緩みっぱなしであったことを覚えている。
「その中に、コイツらが埋もれててよ」
愛おしげにバブを見つめる横顔が、前の世界の万次郎と重なる。
「オレを呼んでたんだ」
「……っ」
なぁ、万次郎。
君の思い出の中でしか会えなかったこの人に、今オレは面と向き合って、言葉を交わしている。
不思議なものだ。何十年来の友のように感じられる。前の世界でこの人は亡くなっていて、初めて出会った幼少の頃以来、まったく関わりがなかったはずなのに。ともすれば恋人のような、親兄弟のような、そんな近しい存在として今では隣で肩を並べ合っている。
今の万次郎は、すべて持っている。何も失っていない。
幸せ、だろうか。もう二年もあの男とは顔を合わせていなかった。武道の選択は本当に正しかったのか。確認しようにもする術がない。自分たちは、完全に道を違えてしまったから。
「これから千葉のチームと同盟結ぶんだろ? コイツも連れて行ってやってくれ」
バサリ、とカバーを取っ払い、真一郎が言う。黒塗りの滑らかな肌を晒した、極上のバブ。グリップを握ればこれ以上ないくらいにしっくりくる。
「真一郎君」
「ん?」
「……ありがと、ぅ」
涙を堪え、泣き笑いの表情で礼を伝える。あまりにも情けない顔を晒していたのだろう。一瞬呆気に取られた真一郎は、すぐさまブッと噴き出して、周りの目も憚らず声を上げて笑い出した。
「おおい、ボース! そろそろ出発するぞ!」
「ほら、気張ってこい! 十一代目!」
バンッ!
背中に気合いを叩き込まれ、バブに跨がる。続々とエンジン音が唸り始めた。九十九里へは、新宿総本部、港区支部、江東区支部、品川区支部の四拠点から、それぞれ代表して五十名ずつ連れて行くことになっている。計二百名にもなる大所帯での移動だ。一般車両の迷惑にならないようにと口酸っぱく注意はしているが、どこまでその忠告が守られるものか……。総長として、自分がしっかり目を光らせていなければ。
「花垣」
そんな暴走族らしからぬことを考えていると、隅々まで手入れされたナナハンキラーが、武道の方へ寄ってきた。
「いつでも行けるぞ」
コールが轟く爆音に遮られぬよう、武道の耳元へ顔を近づけて、乾が告げる。
「うん、わかった。それじゃあ、出発しましょうか」
「ノリ! ショウタ!」
「おう!」
「はーい」
隊列の最後尾にて、高々と掲げられた二枚の旗。
片方には十一代目黒龍の名が、もう片方には詩がでかでかと刺繍されている。
その羽撃きは暴れ風と駆けて
夜を裂く咆哮は狂雲を呼ぶ
雷鳴轟く天を翔けよ
雲霄昇るは漆黒龍
やがて我ら頂きに還る
天下無双の暴走街道
二〇〇五年六月二十五日 深夜未明。
都外へと勢力を伸ばしつつあった暴走族『黒龍』が、計二百名以上で首都高速を集団暴走。主に千葉県木更津市を拠点とする、『木更津洲照羅』との同盟を結ぶために起こったとされるこの事件は、平成史上最大規模の暴走族事件として世間の記憶に刻まれることとなった。
また、背に大きく描かれた龍を靡かせ、縦横無尽に夜を翔ける『黒龍』の姿は、まるで覇道を極めた強者共による凱旋のようだと囁かれ――後に関東中の不良たちはこの暴走のことを、畏怖と憧憬を込めてこう呼んだ。
『龍群の凱旋暴走』、と。