*One Night Love

 断続的に押し寄せる波が、白い浜辺を塗り潰す。
 白砂の上に打ち捨てられた桜貝は、いつの間にやら沖の方へと攫われ、やがて見えなくなってしまった。何処かから聞こえる風鈴の音色に耳を澄まし、静かに目を瞑る。今日は少し肌寒い。本格的な夏を迎える前の七月上旬。暫く暑い日が続いたかと思えば、日が陰ると冷える時もあって。いざという時のために持ってきたパーカーを羽織り、車窓に広がる青を映した。
「車なんて持ってたのか」
 助手席でぼうっと外を眺めていた少年が、言う。それに「俺のじゃない、兄弟のだ」とだけ端的に答えて、国広は表情の動かない横顔をじぃっと見つめた。
 海に行こう、と言い出したのは国広の方だった。今までそんな情緒のあることを考えたことはない。いくら兄弟たちに誘われても取り憑かれたように稽古ばかりしていた国広は、花見もしたことがなければ、花火も海も、紅葉も雪だって、ちゃんと堪能したことなどなかった。だから、今回のことは本当に何となく、ふと思いついたことで……。この、悪戯に髪を乱す湿った海風のように気紛れに、夏らしい何かを見ながら季節を感じてみようかと思い立ったのだ。
「それで、わざわざ車を出してまで海に来た感想は?」
「ん……海だなぁ、と」
「なんだそれは。そのままじゃないか」
 やっぱりお前に情緒を求めた俺が馬鹿だった、と。呆れたため息を吐く長義の頭を、国広が小突く。
「悪かったな、情緒がなくて」
「いいや、それでこそ偽物くんだ」
「だから、その偽物くんというのはなんなんだ」
 車は展望台のすぐ横にある駐車場に停めているため、今は窓を全開にしてエンジンを切っている。今日の天候は曇りのち晴れ。頭上に広がる空は、家を出た時とは見違えたように雲一つない晴天で、絶好のロケーションだった。
「俺は雨男のはずだったんだがな。どうやら俺以上の晴れ男が助手席に座っているらしい」
 おどけて言ってみせると、長義の薄い唇がにぃっと弧を描き、茶目っ気たっぷりに返される。
「お褒めに預かり恐悦至極。それにしても、お前にしては珍しいリクエストじゃないか」
「何となく、な。いつもあんたにばかり任せきりだと年上の示しがつかないし……何より長義と、どこか綺麗な景色が見てみたかった」
 そう言った瞬間、涼やかな目元が僅かに見開かれた。次いでほんのり桃色に頬が染まり、すぐさま顔を背けられる。もう少し、滅多に崩れることのない男の表情が変わる様を、見ていたかったのだが。惜しいと思えど、一度頑なになった彼の態度を軟化させるのは至難の業で、こればかりは諦めざるを得ない。
「……あっそ」
「ふ、……照れたのか」
「違う」
 わしゃわしゃと銀髪を掻き回し、乱れた前髪の隙間からギロリと睨まれる。懐かない猫のようだ。少し前までは、国広の方が威嚇しきった獣のようだったのに。人生何があるかわからないものだと、ジジくさいことを考えた。
「……」
 こてん。
 そんな可愛らしい音と共に、肩に長義の頭が乗せられる。珍しく甘えたな行動に心臓が高鳴り、無意識のうちに国広も彼へ体重を預けていた。
 沈黙が続く。重苦しいものではない。例えるなら、陽だまりで本を読みながらうたた寝しそうになっている時のような、そよ風に撫でられながら森林の空気をめいいっぱい吸い込んだ時のような、そんな温かくて優しいそれだ。ずっとこのままでいたくなって、居心地の良さから自然と瞼が落ちてくる。隣から伝わる自分よりも少しだけ低い体温が気持ちいい。
「……国広」
 するりと滑り込んできた手に指を絡め取られて、一本ずつ意味深な手つきで撫で上げられる。鳥肌が立った。官能を呼び起こされ、腹の底がぞわぞわする。思わず手を引っ込めようとした国広はされど、逃げを許さぬ長義によってさらに固く手を握り締められて、同時にぼうっと身体の内側が燃え上がり、悲鳴を上げそうになった。
「ちょ、うぎ……近いっ」
「そう?」
「おい、……やめ、」
 至近距離まで迫った芸術品のように整った顔が、やけに人間くさく笑う。堪らない気持ちにさせられた。そんな熱を孕んだ目で見つめられると、何もかも見透かされてしまいそうで、恥ずかしくて堪らない。
 ちゅ、ちゅ。
 押し退けようと彼の胸を押した両腕は、年下のくせに力のある彼の手に払われるばかりか、長義の首に巻きつくように誘導されてしまう。結果的にさらに距離が近くなって、動揺している間にも顔中に好き勝手キスを散りばめられた。長義の唇が触れた場所が熱い。一つ一つ丁寧にじっくりと、火種を植え付けられていっているような錯覚を覚えて、自分でも顔が真っ赤になってしまっているのがわかる。そんな国広の反応に気を良くした長義はというと、さらに行為をエスカレートさせていき、果ては国広の唇を親指でなぞり始めた。
「……っ」
 ギラついた眼差しは物欲しげに、じっとそこに噛み付くタイミングを見計らっている。
「ダメだ」
 ぺちんっと間の抜けた音が鳴って、長義の目に潜む物騒な光が幾分か弱まった。そんな彼の口元には、国広の右手がぴったりあてがわれている。キスは、特別な相手とするもの。恋愛音痴の自分でも、それくらいは知っている。ましてや、血の繋がりのある弟のような存在である長義と、キスやセックスをしようとは思えなかった。
「……どうした?」
 寸止めを食らわされた立場である彼は、それでも怒り出すことはなく。寧ろ面白そうに目を細めて、国広の出方を探っている。
「俺とあんたは、従兄弟だ」
「へぇ……知ってたんだ」
 吐き出された声に、意外そうな色が乗せられた。その反応に、長義がすべての事情を知っていた上で、国広と関係を続けていたことを悟る。驚いた。いつから知っていたのだろう。あのバーで出会った時には、既に国広のことは認識していたのだろうか。ということは初めから、彼は国広に狙いを定めて声を掛けてきたのか?
「兄弟から、あんたの家のことを聞いた……俺たちは血が繋がってる……それに男同士だ。恋人でもないのに、こういうことは……」
「なら恋人になればいい」
「な……っ」
 あんまり軽く言ってのけるものだから腹が立った。
 国広は今の関係を壊したくない。そりゃ、始まりは散々なものだったけれど、あれは初めのあの時だけで、あれから国広が長義と肉体的な関係を持ったことはなかった。仕置きの名目で、際どい悪戯は色々とやられてはいるが……。
 こうして偶にではあるが長義が甘えてきてくれて、国広も柄でもなく甘えたりなんかして。人肌恋しくなれば頭を撫でたり、手を繋いだり、ぎゅうっと抱き締め合ったりと、まるで仔猫の戯れ合いのように相手に触れる。そのなんと甘美なことか。今や長義の存在は、何物にも代え難い、特別な存在だった。彼の剣筋を見てからというもの、己に足りていなかった何かを見つけたと思ったのだ。彼に触れられれば、心の中に抱える得体の知れぬ寂しさも、虚しさも、焦燥も、たちまち埋められていってしまう。弟のようでそれ以上に特別な、友人と呼ぶには近く、兄弟と呼ぶには遠い。そんな形容し難い関係を、たとえ実の兄に関わるなど釘を刺されようと手放し難く思うくらいに、彼を好いていた。
 このままの距離を保ったまま穏やかに過ごしていければいいと、本気でそう思っていた。思っていたのに。
「そんな軽く言ってくれるな……俺は、あんたとこうして一緒にいると楽しい。あんたのことを、弟のようだと思ってる……だから、それ以外の余計な感情で引っ掻き回されたくない」
「……」
「長義が大切なんだ……」
「……ふ、」
 崩れ落ちるようにして、長義が国広の方へ倒れ込んできた。勢い余って背中をドアにぶつけながらも、彼の身体を受け止める。すると、ややあって深く項垂れた長義の肩が、小刻みに震え始めて……どこか痛めたのではないかと心配になった国広は、躊躇いがちにその名を呼んだ。
「ふふ……」
「長義?」
「ははっ……! 弟か……っ!」
 あはは! 
 心底可笑しそうに腹を抱えて笑い続ける彼は、明らかに様子が異常だ。心なしか纏う空気もどんどん冷えていっているように感じる。己の理解の及ばぬ未知のものへ向けられる恐怖心が芽生えて、彼を支えるべく腰に回していた手をそっと離した。
「弟、ねぇ……っ」
 ぎりっ。
 国広のシャツを掴む掌が、真っ白になるまで強く握られる。手を痛めるぞ、と嗜めることは出来なかった。何故なら己にのしかかる彼が、明らかな怒気を放っていたからだ。その見る者全てを圧倒する重々しい空気に、すぐそこまでせり上がってきていた言葉を飲み込む。少しでも判断を誤れば、鋭利な刃でもってして真っ二つに断ち切られる、と。そう本能が訴えていた。
 急な長義の変化に戸惑い、どうしていいかわからなくなる。なす術なく呆けていれば、ひとしきり笑った彼がようやく顔を上げた――そして、絶対零度の眼差しに射抜かれて、国広は凍りつく。
「俺がお前を兄としてみることは、一生ない」
「っ、」
「絶対に、ありえない」
 シリンダーにぶら下がっていた車のキーを、長義が外した。奪われたキーは後部座席へ放り投げられ、座席に置かれたクッションに当たり跳ね返る。大きくバウンドしたそれは、そのまま床に転がって、奥まった場所に入り込んでしまった。あれでは簡単に取れそうもない。国広の顔がさぁっと青褪める。キーがなければエンジンをかけれず、この場から逃げることが叶わない。完全に退路を断たれてしまった恐怖からか、それとも目の前の男から発せられる圧に屈してか。こめかみを嫌な汗が伝い、身体がガタガタと震え出した。
 この男は誰だ? 
 怖い。途轍もなく。初めて、長義のことを心の底から恐ろしいと思った。
「いい顔だ。そそられる」
 そうこうしているうちに長義は座席のレバーに手を掛け、力一杯引き下ろす。直後、ガチャンッという重々しい音が響いたかと思えば、運転席の背もたれが後方へ倒され、バランスを崩し仰向けに倒れ込んだ。すかさず身体の上に覆い被さってきた長義の顔に、表情はない。今まで彼の怒った顔は何度か見たことがあるけれど、こんなに冷たい顔を見たのは初めてだった。
 必然見上げる形になった国広の瞳が、不安げにゆらゆらと揺れる。これから自分はどうなるのだろう……殴られるのか、蹴られるのか、それとも……。
「どうだい? 弟に押し倒される気分は」
「……やめ、」
 無理矢理シャツの裾を胸までたくし上げられて、もう片方の手がベルトに掛かった。利き手でないにもかかわらず、ガチャガチャと器用にもベルトの金具が外されていく。腰回りが緩められて、息がし易いはずなのに、鉛でも飲み込んだかのような圧迫感が無くなることはなかった。
 鼓動がうるさい。
 バクバクと肋骨を押し上げる心臓に窮屈さを感じつつ、今まで弟としてしか見てこなかった男が、みるみるうちに雄の姿に形を変えてゆくのを、唖然と眺める。
「……乳首、立ってる。可愛いね?」
「なんで、」
「お前が悪いんだよ」
 しゅるり。
 ベルトが引き抜かれ、スラックスのチャックが引き下ろされる。ジジ、という微かな金属音が、死刑宣告のように聞こえた。
「……もう二度と、弟なんて言えないようにしてやる」
 チッ……と舌打ちを漏らした長義が、忌ま忌ましそうに吐き捨てる。その顔は痛そうに歪められており、彼の負った傷がどれほどのものなのかを物語っていた。
 それほどまでに、弟と思われることが嫌だったのか。
 厚かましいと思われたのか。図々しいと、ただ歳が少しばかり上なだけで、彼を下に見たのが気に食わないと。そう思われてしまったのか。プライドの高い彼のことだ。きっと無意識のうちに飛び出した国広の言葉を、酷く煩わしく思ったに違いない。
 あのあまりに軽い『なら恋人になればいい』という発言も、つまりは国広を適当にあしらうために出た戯言で。そう実感すればするほど、心が痛くなった。
「すまない、長義……あんたを怒らせるつもりは無かったんだ。ただ、俺はあんたが本当に大切で、だから今まで通りあんたの傍にいたくて……」
「……」
「あんたは軽い気持ちで誰かと付き合うことも、別れた後もそれまでと同じように接することも出来てしまうのかも知れない。俺より、ずっと器用だから……でも、俺にはそんなことは無理だ。だから、」
「もう黙れ」
 口を塞がれる。貪るように口づけられて、唇の隙間から長義の舌先が割り入ってきた。じゅぽ、とも、ぐちゅ、とも聞こえる卑猥な水音が狭い車内に反響し、咄嗟に目だけで外に誰もいないか確認する。時期が時期だったからだろう。加えて人目のない穴場の展望台を選んだおかげで、幸いにも国広たち以外誰もいないようだった。
「は、ん……長義、」
「ん……、」
「ぁう、はっ……!」
 恋情はいつか枯れる。
 国広も男だ。ましてや容姿のせいで昔から女が寄って来やすかった国広は、それなりに告白されることも多く、偶にしつこく食い下がる女と付き合ったことだってあった。だが、皆最後に言うことは決まって同じで、『一緒にいてつまらない』『剣道ばかりで構ってくれない』『何のために付き合ってるのかわからない』というものばかりだった。向こうから告白してきたくせに、予め剣道を優先すると言っていたのに、身勝手にも一方的に別れを突きつけて去っていく。初めこそ物分かりの良い風を装って頷いた女も、しまいには欲を出して自滅するのだ。そんなことを何度も繰り返していれば、嫌でも恋愛が泡のように繊細で、ロクなものではないと悟る。
 だから冗談でも、長義とそんな薄っぺらい関係になりたくなかった。国広はあの女たちのように一時の熱を与えられたいわけじゃない。激しくはないが穏やかで、細々と永遠に燃え続ける蝋燭の火のような、そんな長く続いていく確かな繋がりが欲しいのだ。そう簡単には途切れることのない、強く綺麗な繋がりが。
「くにひろ、……」
「んん、」
 濃厚なキスに兆してしまった下腹部を、そっと撫でられる。僅かに膨らんだそこをぐにぐにと揉みしだかれ、背筋を走る快感から悩ましげな声が漏れた。
 腹の底から熱が押し上げられてくる。熱くて熱くて堪らなくて、もっと触れてほしいと長義の手に縋ってしまいそうになるのを、必死に耐えた。肌蹴たシャツの隙間から直接入り込んでくる掌は、国広の感じる場所を探して這い回っている。肩、脇、胸、脇腹……少しでも熱い吐息を漏らそうものなら同じところを丹念に愛撫され、強制的に快楽を引きずり出された。
「それ、ぁ……だ、めだ……ッア、」
 ピン、と控えめに存在を主張する国広の乳首を、長義は気に入ったらしい。
 じゅるるっと大仰な音を立ててむしゃぶりついたかと思えば、飴玉を舐めるように舌先で転がし、時折甘噛みした。ついでに放置されている片割れは指先で執拗に捏ねくり回される。女ではないのだから、そんなところで感じるわけがない。感じるわけがない、のに。始めは何とも思わなかったそこが、徐々に鋭い快感を拾い始めていることに、国広は気づいた。気づいて、絶望した。
「……いた、い……ん、ぁ、」
 延々と同じ事をされていれば皮膚がひりひりとしてくる。堪え兼ねて痛みを訴えたら、ちゅぽっというわざとらしい水音と共に、長義の顔が離れていった。
「ふっ……まるで女のようじゃないか」
 最後に面白がるように、男のものとは思えぬほどぷっくり膨れ上がったそれを、指で弾かれる。「アッ」と短い嬌声が上がった。しまったと思えど、一度表に出た声は無かったことに出来ない。くそ、情けない。年下の男に翻弄されていることへの情けなさと、すっかり感じ入っていた恥ずかしさとで、顔から火が出そうになった。
「……そんな『オンナ』の顔して、よくも弟だなんて言えたものだな」
「……っ」
「ふざけるなよ……」
 国広へ触れる度に、長義は言った。
 俺は男だ、お前の弟じゃない。何故、なんで、どうして、こんなに近くにいるのに、どうしてお前は俺を見ないのか、と。
「ほらほら、呆けるのはまだ早いよ」
「へ、あ……っ、やめろ、長義……っ!」
 責め苦はまだまだ続けられる。
 抵抗も虚しく先走りでドロドロになっていた下着を取り払われ、完全に勃ち上がった自身が勢いよく飛び出た。見られてしまった。己の興奮しきっている恥ずかしいところを。この、美しい男に。そう思うと猛烈に逃げたくなって、精一杯身体を捩る。
「見るな……っ! だめだ、だめ、」
「動くな、全部見せろ」
「……ひっ!」
 急所を強く握られた。人間の本能か。途端に国広は動きを止め、青白い顔で硬直する。
 ゆるゆると長義の手が国広の局部を扱き始めた。先走りが溢れぬるついた先端を、指先でぐちゃぐちゃに押し潰されながら裏筋を撫でられる。力加減がまた絶妙で、強くもなく、弱くもなく、ちょうどいい強さでいじめ抜かれた。なまじ同じ男同士だからこそ、気持ちいいところを知り尽くしているというのがまた始末に悪い。限界が近くなると動きが止まり、また達してしまいそうになると手を離され……というようにギリギリのところで寸止めされ続けて、イキたさのあまりなけなしの理性がぐずぐずに溶かされた。
「は、はぁ……もう、」
「なに? ちゃんと言ってみせて」
「もう、げんか……っぅ、ちょうぎ、頼む」
 限界が近くなり内腿を震わせる。ビクビクッと跳ね上がる腰は反射的なもので、これ以上はいけないと理性が待ったをかけるほど、皮肉なことに感度が上がっていく。
 気持ちいい。
 ぬるぬるする。長義の細くて長い指先が、あの美しい剣筋を見せる右手が、己のモノを掴み、ゆっくりと上下している。そう考えるとさらに興奮して、息が荒くなった。ぜぇはぁと肩で息をする度、車の中の温度が上がっていく。フロントガラスは熱気でくもり、絡み合う獣の存在を外界から隠した。隔離された空間の中で二人きり。互いだけを見つめ、情欲に溺れる。熱に浮かされぼうっとしてきた思考回路が、ただイキたいと、大きな快楽が欲しいと、それだけしか考えられなくなるのは時間の問題だった。
「……イカせ、て……くれ」
 ここは無法地帯。
 とはいえ気恥ずかしさが勝り、強請る声が消え入りそうなほどに小さくなる。
「聞こえないなぁ。もっとはっきり言ってごらん」
「う……、」
「出来るだろ?」
 ぐりっ。
 括れの部分に差し掛かったところでグッと力を込められ、先端部分がはくはくと切なく開閉した。国広の絶頂の気配を感じ取ったのだろう。長義が尿道に爪を立て、その先を促す。
(イク……ッ!)
 しかし、そう歓喜に打ち震えた瞬間、国広は声無く絶叫した。ようやく吐き出すことが出来ると思ったら、痛いほど勃起した己の根元を、強く握り込まれたからだ。
「ぁっ、イカせて……っ、イカせてくれ、長義!」
 狂ってしまう。
 堰き止められ行き場を失った熱が内側で暴れ狂う。いき過ぎた快楽は最早毒でしかなく、のたうち回りそうなほどの激流に丸呑みにされた。そうなれば羞恥心など無いに等しく。ただひたすらに「イカせて……ッ!」とはしたなく目の前の男に泣き縋る。
「やだ、ぁ……! やめ、ぁあ!」
 と、その時――不意に長義の顔が、おもむろに国広のソコへ近づけられた。
(ま、さか……っ! 無理だ、これ以上は、絶対む――)
「ん、くっ」
「は、……~~っ!」
 根元を握り込まれたまま、分身が熱い肉壁に包まれる。たっぷりの唾液で濡らされ、口をすぼめられればひとたまりもない。中の締め付けが一層キツくなり、射精感が高まった。なのに、根元を縛った手はそのまま。悲願の絶頂は許されない。
「ひ、く……ぅ……っひど、」
 もうどうしたらいいのかわからなくなって、苦しさのあまり我を忘れて泣きじゃくった。年上の威厳? そんなの知るものか。ここまで一方的に蹂躙されて、気にしている余裕などあるわけがない。というか、気にしたらあらゆる意味で終わりだ。
「可愛い……すごく、綺麗だ。流石は山姥切の血を引いているだけある」
「綺麗って言うな、ァ……っ!」
 国広を見下ろす長義の顔が酷く優しい。頬を上気させ、興奮しきっていると一目でわかる蕩けた瞳で見つめられれば、何もかも全部許してしまいそうになった。
「……イッていいよ」
「ふぐ、ぅ……」
「ほら、」
 ずるる、ずずっ……。
 突然、拘束が解かれると同時に強く吸いつかれる。限界だ。そう思った途端、ずっと身体の中で燻っていたものが一気に解放され、どぴゅっ! と勢いよく白濁が吐き出された。視界に映る色は白一色。壮絶な快感から脳の機能が完全に停止して、今自分が何をしているのか、何をされているのか、ここが上か下かもわからなくなる。目の前で星が舞ったように視界がチカチカして、おざなりに放り出された両脚がビクビクと痙攣しているのを、辛うじて視界の端に捉えた。
「あー……ぅ、あ……」
 意味を持たない言葉の羅列を零して、感じ入る。ひゅー、ひゅー、と鳴る喉の音が、やけに耳についた。言葉にならない絶頂の余韻からなかなか抜け出せず、正気を取り戻すまでに幾分かの時間を要する。
 あぁ、長義の手で達してしまった。じわじわと湧いてくる罪悪感と後悔に打ちひしがれる。しかも、よく考えれば口の中に出してしまった。最悪だ。そんな胸中などお構いなしに、不埒な右手が腹の上に吐き出された白濁を、腹に塗り込め始める。汗で湿った肌を滑るヌメりを帯びた手の感触が、何とも言えない。
「濃いな……久しぶりだったのか」
 感心したように言う男の声に、温度はなかった。
 やけにあっさりとした長義の態度に、これでようやく終わったのだと、人知れずホッと胸を撫で下ろす。散々痴態を晒してやったのだ。流石にもう満足しただろう。射精後の妙に冷静になった頭は己の都合のいい方へ思考を巡らせて、勝手に自己完結した――が、そのあと続けられた長義の言葉に、国広の考えが如何に甘いものだったかを思い知らされる。
「これだけ粘り気があるなら、出来るな」
「は、?」
 今、なんと言ったのか。意味が理解出来なくて、間の抜けた声が出る。
「できるって……」
 何を? 
 そう投げかけられるはずだった問いは言葉になる前に、冴え冴えと澄んだ青の向こうへ吸い込まれていった。
 物騒な光が国広を射抜いた。今にも頭から喰らわんばかりの、捕食者の目。そのギラついた瞳を前に、まだ何も終わっていなかったのだと急激に悟る。思わず身体が逃げを打って、どうにかしてこの男から距離を取ろうと後退りし始めた。少しぐらい距離を取ったところで、無意味だなんてことはわかっているはずなのに。それでも、男から離れずにはいられない。
「言ったろ? もう二度と弟なんて言えないようにしてやるって」
 離れた分だけ距離を詰めてくる男が、国広の両脚を掴む。無遠慮に脚が割り開かれ、蛙がひっくり返ったような格好にさせられた。嘘だ、そんな、そんなのダメだ……。流石に今から彼が何をしようとしているのかは察しがつく。自分たちは従兄弟で、男同士で、恋人でもなんでもない。間違ってもこんなことをするような関係ではないのに……これ以上は、
「『オンナ』にしてやるよ、偽物くん」
 ――壊れる。
 言い知れぬ恐怖が心を支配した後、国広は無理矢理身体を拓かれた。
 無論、初めは激しく抵抗した。しかし、嫌だ! と相手の動きを妨害しようと暴れれば、後部座席に常備してあったスポーツタオルで両手を縛られ、噛みつこうものなら問答無用で口に手を突っ込まれてしまって。そこからは碌な抵抗も許されぬまま、いいように蹂躙された。
 勿体ぶるように念入りに解された穴は、薄い下生えが尻につくほど奥まで、男の剛直を咥え込んでいる。男の亀頭がめり込んだ時こそ多少の痛みを感じたが、喉元過ぎるとなんとやら。一番太い部分が侵入を果たせば、それからは特に抵抗もなく、なし崩しに全部を受け入れてしまった。
「あー……気持ちいいね、偽物くん?」
 ぬっぷぬっぷと卑猥な水音を響かせながら、悦に浸った顔をして、長義が腰を小刻みに打ち付けてくる。
「あっ、ぅ、ふぅ、へ……」
 もごもごと指を突き入れられたまま、何とか口を動かした。どうやら抜けと言ったのは伝わったらしい。しかし、そんな国広の切実な願いは綺麗に無視され、抜くどころか逆に嫌がらせのように、律動が大きく、深くなっていく。
 ばちゅ、ぐちゅ。
 狭い空間にやたらと生々しい音が反響した。聞きたくなかった。それでも一度達して研ぎ澄まされた神経は鋭敏に、僅かな音をも拾い上げてしまう。先程解放されたはずの熱が、再び腹の底に溜まって、ぐるぐるととぐろを巻いた。首をもたげ、熱を放つその時を待つ灼熱が、早く早くと内側を這いずり回る。だが、どうにも内側だけではいけそうもなく。涙目でぐすぐすと鼻を鳴らしていると、そんな国広の様子を見かねた長義が、若干萎えてしまっている分身をそっと握り締めた。
「は、……お前も、一緒に」
 前を扱かれ、同時に内側から前立腺を抉られる。死んでしまうかと思った。強烈な電流が身体中を駆け巡り、ビクンッ! と一度大きく身体を跳ねさせてから悶絶する。ぎゅぅう……っとナカを締め付けると、みっちり隙間無く内側を占領する長義の肉棒が、またひと回り大きくなったのを感じた。脈打ち、膨らみ、さらなる奥へと貪欲に狭い孔内を突き進む長義自身は、限界が近いようで。律動がさらに激しくなり、ひたすらに揺さぶられる。
「ちょう、ぎ……あ、あ、」
「国広、もっと呼んで」
 口の中の指が抜き出され、代わりに腰を掴まれ本格的に腰を振られる。
「ァン、ちょうぎ、は、ちょ……」
「俺ももう、限界、かな……ッ」
 キスをしながら、二人同時に達した。
 温かいものがじわじわとナカを浸食し、注がれた長義の精が、腹の中で存在を主張する。お前は俺のものなのだと、自分は間違っても弟などではなく一人の雄なのだと。限界を突破して二度目の絶頂感に耐えながら、男の執着の強さと容赦の無さを思い知らされ、あらゆる意味で身震いした。
「国広、……」
 脱力しきった身体を力一杯抱き締められる。幼子が母を求めるような必死なそれに、愛らしく思ったのは一瞬のこと。
 今まで彼と抱き締め合えば、どんな負の感情もたちまち消え去り、満たされるものを感じていた。それが今ではどうだ。二人の関係はもう、これまでとは変わってしまった。そのことが酷く悲しくて、切なくて、ぽかんと空いた心の虚を、どうしたものかと持て余す。
 ぎゅう、と。国広の肢体を抱く腕の力が強まった。
 あぁ、確かに。彼の腕だ。これは、国広が見惚れた剣筋を生み出す何よりも尊ぶべき、彼の腕。だというのに、虚しさが埋まらない。涙が溢れ、頬を伝うそれを優しく指先で拭われる。半開きの唇から漏れた嗚咽は、深い口づけに呑み込まれていった。
 己を抱く長義の顔は、朧げな意識の中ではよく見えなかったけれど。ただ己の涙とはまた別の湿った感触が肌を滑ったのは、きっと気のせいではないのだろう。泣くな、と言いたくて手を伸ばし、しかしそれを伝える前に、その手は力なく地に落ちた。
 閉ざした瞼の裏に広がる光景は、何処までも真っ暗で、冷たい。

 *

「それじゃあ、火の元にはちゃんと気をつけるんだよ。食事も、外食ばかりじゃなくて自炊すること! 剣道は身体が資本なんだから!」
「あぁ、わかってる」
 こぶりのキャリーを引いた堀川が、最後の最後に玄関で渋り出す。
「えーっと、後は……あ、知らない人が来てもすぐにドアを開けないこと! それと、」
「子どもでもあるまいし。大丈夫だ、兄弟。俺のことは気にせず実家に帰ってくれ。親父たちによろしくな」
「なんか心配だなぁ……僕が甘やかしちゃったせいでもあるんだけど、兄弟箱入りだし……」
「誰が箱入りだ」
 あっという間に一年が経った。国広が大学三年生への進級を控えた春休み。四年生になる一つ上の兄は、大学の単位をすべて取り終えたため、家業を継ぐべく一足早く実家に帰ることになった。
 今まで堀川と共に住んでいたマンションは一人暮らしをするには家賃が高く、何より無駄に広すぎるため、じきに引き払うことが決まっている。ちなみに、国広の次の新居は身の丈に合った1DKの築浅マンションだ。大学から近いしマンション自体のスペックも申し分無いのだが、駅から少し遠いため家賃はそこまで高くない。
「車は置いていくから、引っ越しの時にでも使ってやって。僕は実家の車があるし、遠慮しなくていいから」
「すまん、助かる」
「連絡はこまめにしてね。……今までお世話になりました。じゃ、またね!」
 扉が閉まり、堀川の姿が見えなくなる。ゴロゴロとキャリーを引きずる音が次第に遠ざかっていって、人気の無くなった部屋が途端に広く感じた。実家は栃木にあるため、会おうと思えばすぐ会える距離にある。小さな子どもではないと言った手前、兄の前では何でもない風を装っていたけれど、それでもやはり寂しいものは寂しい。
「……」
 堀川がよく抱き締めていたソファの上のビーズクッションに、何度も主導権争いを繰り返したリビングの大型テレビ……これは長男の山伏が買ってくれたものだ。食器棚には色違いで買い揃えられたマグカップや皿たちが並べられている。国広が堀川と同じ大学に進学すると決まった時、祝いでもらったキーケースは、リビングの入り口のところに吊り下げられていた。もう二年も使い込まれたそれは、革の端の部分が毛羽立ってほつれてしまっている。
 堀川の荷物が無くなり空っぽになった部屋を、落ち着き無くうろうろと歩き回る。国広も早く荷造りを終わらせて、今週末にはここを出ていかなければならない。わかってはいるが、この二年間過ごしてきた部屋と何となく別れがたく思えてしまって、もう少し感傷に浸っていたかった。
 ――ブルルッ。
 自分の部屋に戻り、荷造りの続きをしようと思い立った時。尻ポケットに入れっぱなしにしていたスマホが震える。堀川からだろうか。通知を見ると、そこには予想と違う名前が表示されていて身構えた。
《土曜の十九時、渋谷》
 用件だけを簡潔に記した短いメッセージは、出会った当初から何一つ変わっていない。だというのに、がらりと関係性の変わってしまった相手は、あの一件以来あからさまに国広の身体を求めるようになった。
 始まりを考えると、これが本来あるべき姿だったのかも知れない。長義は国広の弱みを握り、それを盾にして関係を迫る強姦魔で、国広はそんなタチの悪い男に引っ掛かってしまった運の悪い被害者。まだ彼が大人に庇護される立場であるはずの未成年で、しかも己と血縁関係のある人間だと知り、絆されかけていた国広の方が、ただ愚かなほどお人好しだった。それだけだ。
《了解》
 けれども彼と過ごした穏やかな日々で育んだ感情が、そう簡単に割り切れるものではないのだと叫んでいる。今でも彼と別の形で関係を築くことが出来たのではないかと、時折考えてしまうのは救いようがなかった。
 どうしたらいいのだろう。途方に暮れ、長義とのやり取りが表示されたスマホの画面を睨みつける。このままではいけない。そう理解しているのだが、果たして己が彼との関係の一切を断ち切りたいと思っているのか。それともこのままズルズルと彼との関係に溺れていたいと思っているのか。自分の気持ちすらはっきりと見えてこなかった。
 だから今日も国広は、彼の指定する日の予定を空けて、彼と会う算段を立てている。
 飼い慣らされた忠実な犬のように。必死に言い訳を探し続けながら。

 部活のないオフの時は、いつも自主練をして一日を過ごしていた。
 そのルーティンが大きく狂わされたのは、いつからか。こんなに爛れた生活を送ることになるなんて、剣道しか見えていなかった頃の己が知ったら、卒倒するに違いない。
「明日はオフか……最近、竹刀を振りたいって言わないね?」
 窓辺で煙草を吸いながら、長義が揶揄うように言う。
「言ったって無駄だろう」
「それもそうだな」
 東京某所にあるビジネスホテルに、二人は泊まっていた。夕飯を食べたその足で予約していたホテルに向かい、そのままベッドで一戦交えた後、今に至る。散々無体を強いられた身体では服を纏うのすら億劫で、国広は赤い跡の散らばった肌を無防備に晒しながら、使われなかった方のベッドに寝転がっていた。
「……煙草、いい加減やめろ」
 相も変わらず自身を痛めつけるような行為を繰り返す年下の男を、律儀に咎める。
「なら口寂しくなったら慰めてくれる?」
「……」
「ほらね。お前がそんなうちはやめてやるつもりはないよ」
 だが、お決まりの返しをされて言葉に詰まれば、あっさり聞き流されてしまって。国広の忠告は今日も聞き入れられることはなかった。
 ふぅっと長義が息を吐く度、白煙が立ち上る。あれは毒だ。百害あって一利なし。仮にも剣を握る者ならば、手を出すべきではない物だ。否、剣士の中で喫煙者は沢山いる。これはただの国広のエゴだ。あんなに美しい剣を振るう彼には、ずっと俗から離れた場所で健やかであって欲しいという、そんな……。
「偽物くん」
「……俺は偽物なんかじゃない」
「偽物で十分だよ。本家山姥切ではないくせに山姥切として名前を売っているんだから」
 こっち、と。長義の手が自身の膝の上をポンッと叩く。傍に寄るよう言葉なく指示され、それに大人しく従った。窓辺に置かれた椅子に腰掛ける彼の上に、恐る恐る跨がる。
「わ、……っ」
 すかさず腰に腕が回され、グッと抱き締められた。
 物言わぬ愛玩人形のようだ。この男が求める通りに動き、己の意思を持たない、退屈でつまらない人形。いつか飽きるものだと思っていた。一方で、飽きられる日がくることを恐れてもいた。そんな相反する思いをこの男に悟らせぬためにも、国広は感情を押し殺して人形のように振る舞うしかなく。偶に怪訝そうに眉根を潜める彼に気づいていたものの、ずるずると続けてここまで来てしまった。それが一番、誤魔化しが効くと思ったから。
「首輪でも買ってやろうか」
 つ、とひんやりとした指先が首筋を撫でる。
「お前を見ていると、飼い殺しにしてやりたくなる」
「……」
「そう怖い目で見るな。冗談だ」
「……あんたは、」
 やわやわと唇の弾力を楽しみ始めたその指を、戯れにぱくりと咥え込んだ。楽しそうに細められた青瑠璃の瞳には、隠しきれない熱の残滓が燻っている。
「俺をどうしたいんだ」
 思ったよりも弱りきった声が出てしまい、内心頭を抱えた。不用意に弱みを見せる危険性を、あれほど痛感したというのに。学習しない己はまた、わざわざ敵に塩を送るような真似をしている。僅かに口角を上げただけの長義が、答えをもたらすことはない。探るようにこちらを見る怪訝な眼差しは、すべてを見透かしてやらんとばかりに鋭かった。
「さぁ、どうしたいんだろうね」
「……はぐらかすな」
「自分の本音を隠したまま相手に求めようとするお前よりは、余程マシだ」
 苦虫を噛み潰したような顔をして長義を睨みつけると、駄々をこねる子どもを宥めるかの如く、鼻の先にキスを落とされる。
「……煙草臭い」
「あぁ、嫌か?」
「好きではない」
「なら今日はもうやめよう」
 そうあっさり言ってのけた男は、備え付けの灰皿にその先端を押し付けて、まだ大分残っていた煙草の火を消してしまう。
 こういうところが恐ろしいのだ、山姥切長義という男は。それまで酷く執着していたかと思えば、大切にしているように見えたものも、あっさり手放してしまう。彼の中の優先順位というのはいつもはっきりしていて、彼の中の上位のモノが否と言うならば、どれだけ気に入っていたものでもそれより下位のものは、躊躇いなく切り捨てられる。
(あれは、俺か……)
 ぐしゃぐしゃにひしゃげた煙草の吸い殻に、己を重ねた。今はまだ、自分は彼の中の上位に位置しているのだと、自惚れなく自覚している。しかしいつか、その捨て去られるものの中に己も含まれる時が来るのではないかと思うと、怖くて堪らない。
「長義……」
「ん?」
 ちゅ、ちゅ。
 白い肌に浮かぶ夥しい量のキスマークの上を、唇で辿られる。
「……俺は、」
 ――どうしたら。
 はむっと唇を甘噛みされて、なし崩しに深いキスをした。脇腹を撫で上げられ身を震わせると、くつりと笑った彼の掌が剥き出しの双丘へ伸びてくる。
「余計なことは考えるな。そら、すぐにそんな余裕はなくしてやるから」
「ん、」
 今日は随分と甘えたな気分らしい。すりすり、と頬ずりされ、その甘えるような仕草にむず痒い気持ちにさせられた。さらさらと流れる銀糸を撫でつけてやれば、もっと撫でろと言わんばかりに掌に頭を押しつけられる。懐かない猫に撫でる許しをもらったみたいだ。どこか浮かれ気味な気持ちで、暫しの間、存分にその滑らかな感触を楽しむ。
(このままでいいのだろうか)
 始まりから歪んでいた自分たちの関係は、ますますいびつに捻じ曲がって、されど簡単には解けないくらいに絡まってしまっている。ぐずぐずに溶かされて何も考えられないくらいに気持ちよくさせられる最中だけは、純粋な幸福感を得られる。しかしその代わりに、その後で強烈な虚無感に襲われるのだ。それは、とても苦しいことだ。長義はそうではないのだろうか。
 同じだけの想いを返して欲しいと思ってしまっている時点で、国広のそれは親愛の域を逸脱しているのだろう。もういい加減自覚はしている。国広のそれは『恋』なのだと。
 かといってそこから先へ踏み出すのは、今までの経験上躊躇われて。そして、こうして身体の繋がりだけを求めてくる長義が、この関係に名前をつけることを望んでいるのかというと、そうではなさそうだったから。だからこそ、言えなかった。
「……っ」
 いっそ、手に入らないならば、ぜんぶ――。
(あぁ、まただ)
「くにひろ、」
「あ……、ちょうぎ、」
 今日もまた、『終わり』の言葉が言えない。


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