Epilogue
「先輩」
本日の稽古が終わり、各々が自主練へと移行し始めた頃。最近入ってきた新入部員に呼び止められ、国広は足を止めた。
「おい国広、手合わせは?」
立ち止まった国広を怪訝そうに見やり、先を行く同田貫が問う。
「すぐに行く。先に第二格技室へ向かってくれ」
「へーい。あー……おい、新人」
しかし、そのまま第二格技室の方へ向かうものだとばかり思っていた同田貫は、予想に反してすんなりその場から立ち去ることはなく。新入部員の存在に気づいた途端、踵を返した。一体どうしたというのだろう。唐突にこちらへ近寄ってきた男に、首を傾げる。そして、その鋭い眼光をさらに剣呑としたものにした彼は、その場に突っ立つ新入部員を睨みつけ、言った。
「そいつの手合わせ相手の最優先は、俺な?」
「はい、わかっています。先輩方は大会も近いでしょうし」
「わかってりゃいいんだよ。あと、お前偶には俺んとこにも来いよ。まぁブランクはあっけど、せっかく面白い剣筋してんだからよ」
じゃあな。
わしゃわしゃと稽古で乱れた銀髪を掻き回してから、今度こそ男は竹刀片手に去っていく。その後ろ姿を唖然と見送る新入部員をじとりと睨んで、国広は不快だと言わんばかりに眉根を寄せた。すると、そんな国広の変化に気づいた新入部員が、クスクスと意地悪く笑う。
「おや、先輩。いかがされましたか?」
「……別に」
「素直に言いなよ、『俺以外に触らせないで』って」
語尾にハートマークがつきそうなほど上機嫌に、生意気な後輩が言う。明らかにこちらを揶揄って楽しんでいる様子に苛立ちながらも、国広は返した。
「敬語。部活の時は私情を持ち込まないって決めただろ」
「あぁ、そうでしたね。すみません、せんぱい?」
男の笑みが、ますます深まった。
付き合いきれるか。国広はとうとう匙を投げた。同田貫と自主練するため移動していたところを、狙ったように話し掛けてきたのも、あの男の前であたふたする国広の反応を見て、遊びたかったからに違いない。そういう男なのだ、この後輩は。
「……お前、性格悪いぞ」
「今更ですか?」
この性悪男の悪癖が発揮されるのは、何も部活に限った話じゃない。普段の大学生活でも何かと国広に絡んでくる。国広は嘘が得意じゃない。ボロが出ないよう、外ではあまり話さないようにしようと決めたにも関わらず、その意味を理解していても尚、約束を破って構いまくってくるこの男。確信犯だからこそタチが悪かった。
食堂で剣道部の友人たちと昼飯を食べているところに、高校からの付き合いだという南泉と共に割り込んできて、ちゃっかり国広の隣の席を陣取ったり。痕をつけるなと言っているのに、国広からは見えない場所にわざとキスマークを残したり。ゼミのメンバーたちと授業終わりに話していたら、何の用もないのに部の連絡があると嘘を吐いて連れ出されたり……これはほんの一部だ。
おかげで今や国広は完全に彼女持ち扱いされていて、尚且つ親戚で弟みたいに可愛がっている(と思われている)この後輩と、大学公認のセット扱いになってしまった。学年も違うのに。
まさに他人のふりとは……という感じである。
「先輩が悪いんですよ」
ちゅう。
腰を抱き寄せられ、唇に口づけられる。誰かいたらどうする! と怒鳴ったところで、暖簾に腕押し、糠に釘。しまいには「俺が確認を怠るわけがないだろ」と自信満々に言われてしまえば、ため息しか出ない。
それでも、こんな大学生活も悪くないな、なんて思ってきてしまっている時点で、国広の負けなのだろう。そして、なんだかんだこの可愛げがなくて憎めない、年下の男が好きな時点で、振り回されることになるのは最初から決定事項だった。
「今は皆んなに譲ってやるけど……夜は俺が独占するから」
あぁ、ほんとに。なんで可愛げのない。
「夜に限らず、俺は全部お前が独占してるだろ」
「はぁ……お前ね、そういうところだよ」
煙草の代わりにキスをして、酒の代わりに愛情を。
満たされたグラスで乾杯すれば、もう虚しさなんて抱かない。溢れてくるのは好きの気持ちだけ。
また車を出して遠出でもするか。そんな話をしてやれば、まだまだカッコつけたいお年頃の彼は、澄ました顔をしながらも、爛々と目を輝かせて頷く。結局そんな彼にまた絆されて、国広は全部許してしまうのだ。
「ほら、同田貫さんが待ってるんだろ。さっさと行け」
「引き止めたのはお前のくせに……」
春には花見をしよう。
夏は海に行き、花火をして、スイカを食べる。
秋は紅葉を眺めながら手を繋ぎ、
冬は雪を投げ合い冷えた身体を温め合う。
でも一番は、そうだな。己の剣で掴み取る頂から見える景色を、共に眺めてみたい。二人一緒なら、きっとどんなものだって美しく見えるはず。次は何処へ行こう。開口一番「遅い」と文句を言ってくるであろう同田貫への言い訳を考えながら、国広は稽古場へ向かうのだった。
【One Night Love 完】