Epilogue
誰しもが一度は耳にしたことのある音楽番組のオープニングテーマ曲。点けっぱなしのテレビから流れてきたそれに、真莉はそれまでスマホを弄っていた手を止めた。
金曜夜八時から始まるその番組・通称Mスタは、最近話題になった新人アーティストから音楽業界の最前線を走り続けている超大物アーティストまで、幅広い世代が出演することで有名な人気番組である。この番組の魅力といえば、司会を務めるモリタの軽快な進行もさることながら、やはりどれだけ成長途中の新人であっても、丁寧に作り込まれた紹介VTRを流してくれるところだろう。
少なくとも真莉は、出演者たちに誠実なその番組の姿勢を、とても評価していた。
「あ、やっと出てきた! 国広くん〜!」
錚々たる面子の登場シーンが一通り済んだ後、最後の方に舞台裏から顔を出した金髪の美青年――山姥切国広へ画面越しに声援を送る。緊張しているのかその表情はまた一段と強張っており、居心地悪そうに席に着くその後ろ姿は、ついつい母性本能を擽られる頼りなさげなそれだった。
「今日もマジ輝いてるよ国広くん……」
そう、何を隠そう彼こそが、真莉がかれこれ八年以上追い掛け続けている、人生の最推しである。あのアイドルらしからぬ愛想の無さである国広が、その実人一倍優しくて、とても努力家であるというところが、堪らなく推せるのだ。恐らくそう思っているのは真莉だけではないだろう。
現に、今真莉のSNSのタイムラインは、もの凄いスピードで流れていた。
『やばい。国広くんめっちゃ緊張してる。今すぐお菓子と緑茶持って行ってあげたい』
『あの澄まし顔が時々フワッて笑うのが堪らないんじゃぁ~』
『とと様は何してんの。早くいつもの陽気な渇で国広の緊張解してあげて!』
尚、とと様というのは、国広が所属している《KUNIHIRO BROTHERS》のメンバーの一人、山伏国広のことである。あの空より広い包容力と桁違いの度量の大きさは、父と呼ぶ以外何と呼べというのか。というわけで国広ファンたちの間では、彼のことは「とと様」とか「パパ」と呼ぶのが通常運転なのである。
――きゃぁあああ!
そんな国広ファンたちの宴が落ち着きを見せた頃、最後のトリとしてとあるグループが登場した途端、一際大きな歓声が響いた。
《CHEVALIER》
大手芸能事務所である《To Love Entertainment》が誇る、五人組の正統派男性アイドルグループである。フランス語で騎士という意味の名が付けられたそのグループは、高いビジュアル性と手厚いファンサービスが売りであり、特に若い女性層から圧倒的な人気を博していた。
「あー、そっか。今日は長義様と共演なのか……」
浮き足立っていた真莉の心に、一点の染みが滲む。長義様こと山姥切長義は、国広が所属していた二人組アイドルユニット《Gemini》の片割れを務めていた男だった。国広が学業に専念したいからという理由で解散となったかのグループであるが、あの急なタイミングといい、最終公演の時の国広の様子といい……果たしてそれが本当の理由であったのかどうかは、未だにファンの中でも意見が割れるところであった。
「大丈夫かな……。国広くん、長義様がいるところだと、いつもより緊張しちゃうからなぁ」
そうこうしているうちに、今夜の番組出演者たち全員の入場シーンが終わろうとしていた。そこから何組か聞いたことのない名前のバンドや、思わずおおっとなる大物シンガーソングライターの出番が続き、ようやく《KUNIHIRO BROTHERS》の出番が回ってくる。
『今夜は、なんと先日公開された映画《遠き春を唄ゑ》の主題歌となった新曲を、テレビ初披露して頂きます!』
『えー、作詞作曲は全部山姥切さん……おっと、もう一人山姥切さんがいたね! なら国広くんでいいかな、うん。そうそう、国広くんが作った曲なのだと聞いています』
司会のモリタの少しおどけた言い回しに、長義がいつものように笑って流す。国広は変わらずの無表情で、何ら反応は見せなかった。衣装に付いているフードを落ち着きなく触り始めたところからして、緊張を押し殺すのでそれどころではないのかも知れない。彼は緊張するとフードを触る癖があるのだ。はい、可愛い。優ですね、優。
『バラードのような物語性に富んだ歌詞と、映画のイメージに合わせた情緒的な雰囲気のメロディーがとても心を掴む曲です。モリタさんはもう映画は観に行かれましたか?』
『実はこっそり観に行きました。いやー、あれは大変衝撃的でした。世間では賛否両論とのことでしたが、僕は好きですよ』
『私も観に行きましたが、一週間くらいは胸の苦しさが続きました……』
『色々と考えさせられる作品でしたね』
モリタたちが感想を語っている映画は、国広自身が主演として抜擢された恋愛ものだと聞いている。彼の映画出演が決まったと聞いた時は、小躍りして喜んだものだったが……。あれから急に仕事が忙しくなってしまい、ロンドンへ長期出張となってしまったため、真莉はその辺りの情報をまったく追えていなかった。だから今日のMスタも、久しぶりに帰国してようやくありつけた、自分へのご褒美なのである。
「えっと、《遠き春に唄ゑ》と……」
スマホで映画のタイトルを検索し、今更ながら上映日を調べてみる。丁度近所の映画館で、明日の午前に空席があるようだった。とりあえず予約を取ってから、次は映画について検索を掛けてみる。あらすじとキャスティングは一体どんな感じなのか――。
「え?」
検索エンジンの一番上に出てきた、国広推しにより書かれたと一目で分かる映画の感想ブログ。ネタバレ覚悟でそれを開けば、まず目に飛び込んできたのは《ADULT ONLY》《近親相姦》《同性愛》などの衝撃的な注意表記の数々だった。こりゃやばいモノを見てしまったぞ、と。鼻息荒く映画の公式サイトへ飛んでみると、キャスト一覧の中にこれまた驚愕の文言が記載されている。
主演 山姥切国広(瀬名悠斗)/山姥切長義(瀬名仁哉)
「んなぁ~っ!?」
車に轢かれたカエルの方がまだマシな声を出すと思う。そんな凄惨な悲鳴を上げて、真莉は文字通り椅子からひっくり返った。
「お、え、あ、えぇ!? W主演が国広くんと長義様!?」
しかも二人は双子の兄弟という設定で、禁断の恋に発展するのだ。あの不仲説が濃厚だとまで言われた二人が、まさかそんな色々際どい映画に出演していただなんて。本人たちがオファーを受けたのも驚きだが、そもそもよく双方の事務所からゴーサインが出たものだ。
「待って……アダルト・オンリー? ア……ア……」
語彙力がなくなりすぎてカ○ナシみたいな声が出る。なになに、先ほどの国広推しが書いた感想ブログのページに戻ると、『国広くんの絶頂シーンと、長義くんのお尻の痙攣に大注目! 新しい扉が開けます!』だなんてパワーワードが書いてある。しまった。このブログ主、ちょぎくに女だったか。しかも洗脳型の。確かにもう既に扉を開きそうな自分が怖い。山姥切国広同担拒否夢女なのに、長義様なら仕方ないとか思い始めている自分がいる。
「え、ツラ……」
性癖を歪められる辛さに打ちひしがれていると、ついに《KUNIHIRO BROTHERS》の演奏が始まった。曲の名前は《Guilt》。Mスタのサブ司会者の女性アナウンサーが言っていた通り、とても胸に残る一曲だった。
『国広』
暫く国広の曲の余韻に浸っていた時だった。唐突にテレビから、国広の名を呼ぶ聞き慣れた声が流れ出した。
『ほら、タイが曲がってるよ。出番前に鏡で確認しておけっていつも言ってるだろ?』
『……鏡はあまり好きじゃない』
『仮にも顔で売ってるんだから、身嗜みは整えろ』
右上のテロップには大きな文字で出番前の貴重映像と書かれている。なんだなんだ、今日のMスタはサービス精神旺盛過ぎやしないか? 二人のやり取りが気になって画面に釘付けになっていると、拗ねた顔をした国広がぼそりと言った。
『俺がやらなくてもお前がどうせ直すんだから、今日はいいんだ』
「っ……は、ぁ~! くぁ~!」
トドメの一発をキメられて、見事に真莉は床へ沈んだ。ついでにタイムラインも五分ほど沈黙が続くという異常事態が発生したのだった。
ではでは、とある国広推しのモブ女の物語は、これにて終幕。めでたしめでたし。
《追伸》
Mスタの上層部には絶対ちょぎくに激推し女(洗脳型)が潜んでいると思う。私が死んだら棺の中に、ちょぎくに同人誌を入れてくれ。