*Scandalous Love

TOUKEN RANBU
 番外編 スキャンダラス ラブ

 ぱちん、ぱちん。
 瑞々しく実る野菜たちを収穫し、籠へ入れていく。青々と茂る葉の隙間から差し込む斜陽は、すぐそこに迫る一日の終わりを示唆していた。
「ふぅ……」
 額に浮かぶ大粒の汗を、首から提げた大判のタオルで拭いつつ、顔を上げる。今日はここまでだな、と国広がすぐそこで作業している男へ、声を掛けようと立ち上がった時、ほぼ同時に男もまた腰を上げた。
「はい、終わり終わり」
 耳へ届いた声には明らかな苛立ちと疲労が滲んでいる。
「長義、お疲れ」
「まったくだよ。この俺に畑仕事をさせるなんて……」
「その下り毎回やっているが、もうそろそろ諦めろ」
 午前中はあんなにうるさかった蝉の大合唱は、今やすっかり静まり返っている。蝉は本来夜には鳴かないものなのだと知った時は衝撃を受けたものだが、この島に来てからというもの、それは都市伝説ではなく本当のことだったのだと痛感する日々だ。
 ――そう、島。
 今国広たちは仕事でとある無人島を訪れている。人々に忘れ去られた無人島を、自分たちで開拓していく……という、それはアイドルの仕事なのか? と首を傾げたくなるような企画を遂行するために。
「誰だよ、こんなトチ狂った企画を立てたのは……」
「山伏の兄弟が発案者で、それを上手い具合に纏めたのは堀川の兄弟だと聞いている」
「お前たちはその無駄なスペックの高さを、もっと他のことに活かせよ」
 大体こんな企画を推し進めたプロデューサーもどうかしてる、なんてぶつぶつと呟いている長義の顔は、既に何度もこの番組へゲスト出演しているというのに、依然として険しいままだ。ちなみに畑仕事を毛嫌いしているこの男は、本日でめでたく連続十回目の出演となる。放送初日からずっと呼びつけられているこの男を、果たしてゲストの域に収めたままでいいのかどうかは、かなり微妙なところだが。本人がレギュラー呼びを頑として許さないので、恐らくこれからもゲスト(仮)と扱われ続けるのだろう。
「それにしても、長義とセットの仕事が異常に増えたな……」
 ここ最近のオファーや撮影スケジュールを反芻し、国広は遠い目になる。
「あの映画の影響だろう。それだけ世論が俺たちの絡みを求めているというわけだ」
「元々あった不仲説のせいで、ビジネスホモとか言われてるがな」
「フンッ……言いたい奴には言わせておけばいい。それに、真実は俺たちだけが知っていればいいことだ。……ね、国広?」
 意味深に唇を舐めてみせる男は今日も麗しい。少しだけ悔しくなって、国広もまた負けじと口端を歪ませた。歌舞伎の女形を参考にした色のある仕草で、雄の本能を掻き立てる流し目を送る。
「『二人だけの秘密』……だったな」
 兄さん。
 映画の中で沢山吐いた男の呼び名。演技中の長義は国広が彼を兄と呼ぶ度に、酷く傷ついた表情をしてみせた。それは演技だとわかっていても尚、強く胸を締め付けられるもので、国広はそんな長義の顔を見る度に、どうしようもなく男のことを愛しく思ったのだった。
「……そう呼ばれるのは嫌いだ」
 苛立ち混じりの声で、長義が唸る。深々と刻まれた眉間の皺に、己の不快感を隠そうとする気は皆無であった。だがそんな反応を前にして、少しだけ安心する。やはり、感情をひた隠しにした演技中の長義よりも、こちらの方が彼らしくて好ましい。
「……ふ」
「……なんだよ」
「いや、俺もだいぶ焼きが回ってるなと」
 外に放置されている野菜たちや農具を回収し、片付けを始める。そろそろ山伏が山で狩った獣か、堀川が海で釣ってきた魚でも仕込んで、夕食を作っている頃だろう。この番組のプロデューサーは徹底していて、カメラの回っていないところでも、自分たちで出来ることはすべてするよう、国広たちへ小煩く注文してきた。
 まぁ、偶に不意打ちでカメラが回されていることもあるのだが。
「……おい」
 もぞもぞと、腰に回された不埒な腕を叩き落とす。これ以上あのプロデューサーに餌を与えてやるものか。先日昼寝姿を晒されたことを根に持っている国広が苦い顔をすれば、長義はハッと鼻で笑った。
「別にいいじゃないか。寧ろあの人はこういうのを狙っていると思うよ」
 そう返すや否や、黒いタンクトップの隙間から男の掌が滑り込む。汗ばんだ肌を撫で回すその動きは、身体を昂める愛撫というより、犬猫を愛でるようなそれだった。
「また週刊誌にすっぱ抜かれるぞ」
「あぁ、良い記事だったね。あれを書いたライターは天才だ」
「んなわけあるか!」
 思わず大きな声が出る。
 何が『長き初恋、共演きっかけで成就か』だ。内容は見出しからしてお察しの通りである。幼い頃から国広へ恋心を抱いていた長義が、紆余曲折を得てついに国広と結ばれた……といった内容だ。こいつがそんな殊勝なタマか。それに解散の一件だって、記事の中では『恋心を抑えきれなくなった長義による、断腸の思いで決断した涙の決別』なんてことになっていた。国広のトラウマともいえるあの一件を、そんな腑抜けた理由で片付けられては堪らない。
「いや……本当に天才だよ」
「そんなわけないだろう。解散のことだって、方向性の違いを感じた結果があれだったと、前にお前が言っていたじゃないか。仕事と真剣に向き合ったからこその結果だったのに、あんな風に書かれて悔しくないのか?」
 いくらなんでも色恋沙汰で済ませていい話ではない。そう憤慨して続ければ、何故か長義の顔色がみるみるうちに悪くなっていった。あれだけ無遠慮に這い回っていた手も、いつの間にか引っ込められている。
「頭が痛い」
「熱中症か? スポドリ取ってきてやろうか」
「いや、何でもない。大丈夫だ。そうだな、うん。そうだね……少し悔しい、かな」
 ――俺の想いは、あんな記事どころの話ではないからね。
「それは……」
 最後の言葉に、国広がどういうことかと問い詰めようとした時、二人を呼ぶ声が聞こえた。
「きょうだーい! 長義さんも! お夕飯出来たよー!」
「わかった! すぐに行く!」
 返事をしようとした国広を長義が遮り、彼は粗方纏めた荷物の半分を持ち上げる。
「ほら、行くぞ」
 緑の生い茂る田園風景を暫く歩けば、張り出した煙突が特徴的なログハウスが見えてきた。この無人島開拓番組が推し進めるプロジェクトの中で、最も力を入れていたのが、このログハウス建築計画である。
 山を散策していた時に見つけた、樹齢数百年は超えているであろう巨大なブナの木。群生していたそれらを専門家監修の下、国広たちが自ら伐採し、加工し、一から組み上げていった。正直かなりの重労働だったが、そうまでして手間暇かけて建てた分、完成した時の達成感は一入である。文字通り国広たちの血と汗と涙の結晶ともいえるそれが、やっと完成した日。うっかり泣きそうになったのは一生の秘密だ。
「いつ見ても凄まじいな……」
「気に入ったか?」
「業腹なことに、俺は時々お前のことがわからなくなるよ……」
 庭の洗い場に野菜の入った籠を置き、倉庫へ農具を仕舞いに行く。ある程度の片付けを終えてからログハウスの扉を開くと、木の温もりを感じる広々としたリビングが目に入った。
 外装こそ大雑把な部分が散見されたものの、内装にはそれなりに拘っている。余った木材で掘り炬燵を作ったり、堀川の趣味である料理のために台所を充実させたり、狩った動物たちの皮を使ったハンモックを吊るしてみたり……。こうして色々と手を加えた結果、かなり居心地の良い別荘が爆誕してしまったのだった。
「お前たちは……何処を目指してるんだ?」
 テーブルの上にずらりと並んだ、とてもサバイバル食とは思えぬクオリティの料理たちを眺めて、長義が唖然と呟く。
「意外と僕たちの性に合ってたみたいで、ついつい夢中になってたら、こんなことになってたんですよね」
 石窯からピザを取り出して、堀川が笑った。
「畑も順調に育ってるからな。そのうち食料もこの島だけで完結できるようになる筈だ」
「リアル版ど◯ぶつの森って感じで楽しいよね!」
「……もう俺は突っ込まないからな。それより山伏は何処へ行ったんだ」
 そういえば、先ほどから山伏の姿が見当たらない。彼が姿を消す時は大抵近くの山に籠もっているか、あるいは作業場でトレーニング器具を作っているかのどちらかだった。ならば今日もそうなのかと考えたところで、昨日山伏が言っていた言葉が脳裏を過ぎる。曰く、熱望していたアスレチック遊具の設置作業が、遂に終わったのだとか。
 朝からいそいそと出掛けていったのは、もしかするとメンテナンスのためかも知れない。
「新設したアスレチックに夢中になってるんだろうな」
「あ、僕呼んでくるね!」
 パタパタと軽い足音を立てて、堀川がリビングから出て行く。蝶番を造るのが難しかったため、ドアは引き戸タイプのそれだ。そのうち鉄を加工する環境が整ったら、挑戦してみようと思っている。
「……お前は、こういう家が好きなの?」
 堀川が不在の間、黙々と食卓の準備を進めていると、長義が声を潜めて問うてきた。
「そうだな……」
 好きかと言われれば好きだと思う。そこまで家について真剣に考えたことがなかったので、まだよくわからないけれど。少なくともこのログハウスの温かみのある雰囲気なんかを、国広は純粋に気に入っている。
「ふーん」
 思ったままにそう伝えれば、長義はすぅっと目を細めて俯いた。何か気に障ったのだろうか。こういう時の彼は、頑なに感情を悟らせないので、何を考えているのか読めない。
「ただいまー! 待たせちゃってごめんね。あ、兄弟! 準備してくれてありがとう〜」
 そうこうしているうちに、山伏を連れた堀川が帰ってきた。
「俺は皿だのコップだのを並べただけだ。兄弟こそ作ってくれてありがとう」
「いえいえ、僕のはただの趣味だからね」
「あいすまん! つい夢中になってしまってな。せっかくの夕餉が冷めてしまう。早速頂くとするか!」
 いただきます、と皆んなで手を合わせて、食卓を共にする。賑やかでどこまでも優しいこの時間を、国広は切に手放したくないと願った。何故ならそれは、幼い頃に夢見た、理想の家族の形をしていたから。
「美味い」
「やった! 兄弟、こっちのハーブチキンも食べてみてよ。鳥は山伏の兄弟に教えてもらいながら、シメるところから自分でやってみたんだ。上手く臭みは抜けてると思うんだけど……」
 口に入れた瞬間に目を見開く。プランターで育てていた数種のハーブが、上手いこと肉の臭みを打ち消していた。ジューシーな肉汁が舌の上で溢れるそれは、文句無しに美味しい。これは、あの美食家の長義とて唸る代物に違いない。子どものように目を輝かせて肉を頬張りつつ、国広はこっそりと隣に座る長義を見る。すると、彼もまた上品な仕草で、絶えず咀嚼を繰り返していた。
 箸の動きがまったく止まる気配を見せないあたり、どうやら無事彼のお眼鏡にかなったようだ。
「……気に入ったか?」
 ここ最近のお決まりとなりつつある問いかけ。その裏に、国広の大切な人たちを少しでも好きになって欲しいという下心があることを、彼は知らないだろう。
「嫌いじゃない」
 相変わらず素直じゃない男だ。ふ、と小さく笑えば、横から脇腹を小突かれる。誰の手だなんて考えるまでもなかった。
 夜、昼間の喧騒とは打って変わった静けさに身を浸しながら、国広たちは布団を敷き詰め雑魚寝した。軒天井に吊るした風鈴の音が、時折夏の気配を連れてきては、レースのカーテンの向こう側でひらひらと踊っている。断続的に揺れるシルエットをぼうっと眺めて、やがて翡翠の瞳は完全に瞼の裏へと隠された。
 そんな穏やかな闇夜の中、ぬ、と伸ばされた掌が一つ。
 シーツの上に散らばった金髪を散々指先で弄んだそれは、眠り続ける青年の頬を愛しげにひと撫ですると、名残惜しげに離れていった。

 時の流れというのは早いもので、季節は実りの秋となった。国広たちが抱えるレギュラー番組《国広三兄弟の! 〜HORI島☆開拓記〜》もいよいよ佳境を迎えており、本業は農家なのかと言いたくなるほど収穫に走り回る日々が続いている。
「えー、本日は特別ゲストとして、只今人気爆発中のアイドルグループ《Go! Go! JUMP》の桑名江さんにお越し頂きました!」
「どうも、桑名江です。今日はよろしくお願いします」
 目元が隠れるほど伸ばされた前髪を、ちょいちょいと指先で弄りつつ、桑名江が軽く頭を下げる。
「桑名江さんって、ご実家が農家をされてらっしゃるんですよね?」
「はい。三重で色々作ってます。この時期ならお米とかサツマイモとか」
「カッカッカ! これは頼もしい戦力であるな!」
「サツマイモ……丁度今日収穫の予定があるな。よろしく頼む」
 国広が言えば、律儀にぺこりとお辞儀をされた。いかにも素朴な好青年といった出で立ちの桑名江に、国広たちの表情も自ずと緩んでいく。しかし、そんな穏やかに始まった番組のオープニングは、唐突にやってきた戦場の空気に触発され、一気に引き締まったものへと変化した。
「では、早速収穫といきますか……」
「応!」
 初回からずっとゲストとして出演し続けていた長義は、生憎《CHEVALIER》絡みの仕事のため不在にしている。連続出演記録が途絶えることをプロデューサーは非常に惜しんでいたけれど、当の長義が「今までがおかしかったんだといい加減気づけ」と、どことなく嬉しそうな顔で一蹴していたので、彼にとっては記録が断ち切られたのは願ってもない幸運だったのかも知れない。
 兎にも角にも、今回は長義無しの収録だ。気合いを入れていかねば。
「うん、実ってる実ってる」
 辺り一面に広がる緑を見渡し、桑名江が満足気に頷く。前に猪や鹿が作物を食い荒らしたことがあったので、バリケードを張ってみたのだが、今のところ特に異常は無さそうだった。
「山伏と山姥切の兄弟は、東側の畑から夏野菜の収穫をお願い。僕と桑名江さんは秋野菜の畑を担当するね」
「うむ。ではついでに苗の調子も見てこよう。気候が変わったゆえ枯れてしまったものもあるやも知れぬ」
「昼になったらまたここで落ち合おう」
「はーい」
 そこからはひたすら同じ作業の繰り返しだ。熟れ過ぎてダメになったもの、葉が枯れてしまったものなどを取り除き、食べ頃の実を収穫していく。また、季節が変わり弱ってしまった苗は一つ一つマーキングをして、後で堀川たちとどうするか相談することにした。
 日の出前から収穫を始めて、荷車が一杯になる頃には昼になっていた。堀川たちと約束した時間になったため、山伏と共に集合場所まで荷車を引いて歩き、合流先で互いの成果を確認し合う。
「わぁ、もう涼しくなっちゃったし、あんまり採れないかと思ったけど、結構収穫できたんだね!」
 国広たちの荷車にはゴーヤ、キュウリ、水茄子、トマト、といった夏野菜たちが。一方、堀川たちの荷車には、サツマイモを始めとした蓮根、ジャガイモ、ラディッシュといった、根菜を中心とした野菜たちがゴロゴロと収まっている。
「あぁ、だがゴーヤとキュウリはそろそろ抜いて、土を休めた方がいいと思う」
「うむ。数本元気が無くなっているのがあったからな。潮時なのである」
「だったら良い方法があるよ」
 桑名江は流石と言うべきか、農業に関しての知識がずば抜けていた。苗の間引きや草取り作業の時には、腰掛け台車を使うといい。作業台の高さを作業内容に応じて変えると、腰が楽になる……などなど。実際に彼のアドバイス通りにやってみると、かなりの負担が軽減されて、おかげで後半戦は前半戦よりも楽に終えることが出来た。
「やっと終わったね。皆、お疲れ様」
 日の沈みかけた夕暮れ時。ログハウスのリビングで冷たい麦茶を飲みながら、ふぅ、と一息吐く。今から収穫した野菜を使って料理を作り、皆でそれを食べるところまで撮影する予定となっていた。
「手洗いに行ってくる」
「はーい」
 丸一日掛けて挑んだ収録も、この夕飯のシーンで最後となる。そう思うとどっと疲労感が押し寄せてきて、身体が一際重く感じた。
 全身の筋肉が悲鳴を上げている。加えてゲストの桑名江がいた手前、無意識のうちに気を張っていたらしく、精神も摩耗していた。こういう時に人見知りな性分は厄介だ。もっと堀川や山伏みたいに、初対面の人間相手でも気兼ねせず接することが出来ればいいのだが。
「……ん?」
 己の不甲斐なさを噛み締めながら手洗い場を出ると、不意に視界の端で蠢く影を見つけた。よもやまた猪か、それとも鹿か。
「……また畑を荒らされたら敵わんな」
 仕方なしに狩りの道具を取りに行くことにして、踵を返す。見てしまったからには放っておくわけにもいくまい。それに、もし上手く狩れたら夕飯のおかずが一品増える、なんていう打算が働いた部分もあった。国広の希望としては、口の中でホロリと崩れるじっくり煮込んだ猪肉の角煮か、甘酢餡をたっぷり絡めた肉団子がいい。
「に・せ・も・の・くん」
「ぅわっ……」
 狩ったら堀川に強請ってみようか、と呑気に夕飯の献立へ思い馳せていた時だった。いきなり背後から肩を掴まれ、ぐっと後方へ引き寄せられた。そして碌な抵抗も出来ぬまま、国広の身体は背中から硬い胸板の上へ倒れ込んでしまう。
「ちょう……っもが!?」
「しー、静かに。堀川たちにバレると面倒だから」
 拘束を振り解こうとするも、疲弊した身体に上手く力が入らず、為す術無くがっちりホールドされる。驚きのあまり瞠目した。何故この男がここにいる。予定では来週の収録から合流することになっていた筈だ。それまで長義と顔を合わせる機会は無いのかと、少し残念に思っていたのに。まさか彼の方からやって来るとは。
「なに、その顔。そんなに嬉しかったのかな」
「あ、いや……」
「ふぅん……可愛いやつ」
 ちゅっ。
 軽く口付けられる。それだけでは物足りなくて、離れていった唇を無意識のうちに目で追っていた。
「もっと欲しい?」
「……っん」
 こくり、と小さく頷く。火がついたように顔が熱くなって、鏡を見なくとも今の自分がみっともない表情を晒していることがわかった。けれど、今は表情を取り繕うだけの余裕がない。この男が欲しいということしか考えられなくて、思考がどんどん欲に飼い慣らされていく。このまま、求めるがままに彼と身体を繋げられたなら、どれだけ気持ちいいか――。
「ふふ、俺の可愛い弟は我慢が出来ない悪い子だね」
 ぐるりと身体の向きを変えられて、長義と抱き合う体勢になる。腰に回された腕がするすると脇腹を滑り、やがてその下にある臀部へと移っていった。そして、厚手のジーンズの上から形が変わるほどの強い力で、ぎゅうっと尻を掴まれる。
「ひ、ぁッ」
 男の予想外の動きにビクッと身体を強張らせた直後、今度は無防備になっていた首筋を舐め上げられ、堪らず嬌声を上げた。
「……あとは、俺に任せておけ」
 柔く耳朶へ噛みつかれて感じ入る。同時に緩く勃ち上がりかけている下半身を、膝でぐりぐりと刺激されては堪らない。久しぶりに与えられた快感に、腰が砕けそうになった。そこで、何とか衝撃をやり過ごさんと耐えていると、長義はそんな国広の膝裏へ手を回し、そのまま軽々と身体を持ち上げてしまう。
「な、!」
「せいぜい林檎のような顔をしたまま弱っていてくれよ。でなければ説得力がないからね」
「長義、なにを……!」
 ずんずんと廊下を歩く男の足取りは実に軽やかだ。余程機嫌が良いのか、頭上からは鼻歌が漏れ聞こえてくる。彼が何をするつもりなのか、未だ混乱の渦中にいる国広には予想がつかなくて、急に不安になってきた。進んでいる方向からして、山伏たちの待っているリビングを目指していることはわかるのだが……。それだけに、嫌な予感をひしひしと覚える。
 一体何をやらかすつもりなのだ、この男は。
「え! 長義さん!?」
 がらり。
 灯りの漏れる引き戸へ手を掛けた男は、躊躇いなくそれを右へと滑らせた。そのまま部屋へと滑り込み、驚く面々の顔を勿体つけるようにゆっくりと見回す。そこでようやく、国広は男の行動を止めなければならないと確信した。何だかわからないが、碌でもないことを言い出すに決まっている。とにかく、こいつの口を塞がなくては。
「やぁ、皆んな。元気にしていたかな」
「長義って、あの《CHEVALIER》の山姥切長義さんですか……?」
「なんと! 帰ってきていたのか!」
「五日ぶりだね、山伏殿。あぁ、君は桑名江くんか。今回ゲストに呼ばれたと聞いている。こんな気が触れた番組に出てくれるなんて、君はよっぽど心が広いんだね。この子の代わりに礼を言っておくよ」
 ゆさっと腕に抱えた国広を揺らして、長義が言う。すると必然的に、三人の視線が長義の腕の中へと集まった。
「えっと……長義さん、それは一体どういう状況で……?」
「長義、おろせ……っ」
「こらこら暴れない。……俺と会えたことが嬉し過ぎたのか、顔を合わせた途端に興奮して倒れてしまってね。顔も赤いし、熱も出ているようだから、軽度の熱中症ではないかと思うのだけれど……」
「えっ! それは大変! 兄弟、お水持ってこようか? ご飯は食べれそう?」
「いや……その、」
「君たちはまだ収録が残ってるのだろう。こいつの面倒は俺が見ておくから、終わらせられるところまで終わらせてきたらいい」
 それでは、俺たちは先に部屋に戻っているよ。
 白々しくそう宣って、長義は国広を抱えたままリビングを後にする。
「おい、長義……っ!」
 仕事を放って逢瀬に耽るのは、流石に居た堪れない。すぐに収録を終わらせて、その後ゆっくりと二人の時間を過ごすつもりだったのに、これではあまりに無責任だ。
「おろせって……、んぅ」
「悪いけど」
 強引に上から口を塞がれ、国広は続けるつもりだった言葉を呑み込んだ。
「俺の方が、もう限界」
「……っ!」
 欲に濡れた瑠璃玉と目が合った瞬間、諦め悪く足掻き続けていた身体が、解けるように弛緩した。いつもそうだ。この男のこの顔に、国広は勝てた試しがない。そんな、見たことないほど切羽詰まった顔をした恋人を無碍にするほど、冷徹にはなりきれなかった。
「は、ァ……国広」
 部屋に着いて早々に、服を着たままバスルームへ放り込まれる。ジャーッという激しい水音に紛れて、呼吸もままならぬほどの深いキスを交わした。 
「ん、は……脱がして」
「んん……う、ん」
 言われるがままにびしょ濡れの服を脱がせ、乱雑にタイルの床へ投げ捨てる。別に直接的な愛撫を施されたわけでもないのに、異様に身体が昂っていた。下着の中に収められた己の分身が痛い。窮屈で仕方なくて、今すぐすべてを脱ぎ去ってしまいたいのに、いつの間にか長義に両手を拘束されていたせいで、身動き一つ叶わなかった。
「ねぇ、お前のココ、糸引いてる」
「あ、やめ……ッ」
「下着の上から触ってるのに、お前は本当にはしたない子だね」
 ぬるついた手で優しく先端を撫でられると、それだけで達してしまいそうになる。しかし絶妙な力加減でもってして、国広が一人で達してしまわぬよう寸止めされてしまい、気が狂いそうになりながらヨがった。
「ちょ、うぎ……っソコ、あ、だめ……きもち、い……からっ!」
「そう? ならもっとイジめてやろうか」
「あ、アァッ! イきたい……、イかせて……ッな、んで、」
 精を吐き出さんと、くぱくぱと開閉する尿道口を集中的に責められれば、軽く意識が飛ぶほど気持ちいい。にも拘わらず絶頂は許されず、ひたすら焦らされ続ける時間は拷問に等しかった。
「長義、……っ触って……!」
 いよいよ耐えきれなくなり、なりふり構わず男の手に下半身を擦り付ける。
「なに、ソコを触って欲しいの?」
「ぅ……」
「ふふ、腰が動いてるよ国広。どこを触って欲しいのか、ちゃんと言えたら触ってあげる」
「そ、んな……」
「そんな可愛い顔をしたってだーめ」
 クスクスと美しく笑う男は、まるで享楽主義の人を惑わす悪魔のようだ。こちらの事情などお構いなしに、己が楽しむことしか考えていない。一瞬、目の前が暗くなった。このまま自分は、一晩中ずっとこの男の玩具にされて遊ばれるのではないか。そんな不穏な考えが脳裏を過ぎり、思わず身を震わせる。
「ひぅッ……!」
 その震えは恐怖故のものか、それとも卑猥な期待故のそれか。最早国広には判断がつかなかった。思考するための理性などとうに失くしている。身体中を這い回る男の手と舌に、丹念に隈なく溶かされて、跡形もなく消えてしまったのだ。
「お前が素直にならないからいけないんだよ」
 この期に及んで言葉にするのを躊躇っていると、そんな国広を煽るように長義が尻を撫で回してくる。
「この番組が始まってから、あまりお前を抱けなかったから……狭くなっているかもね」
 どこからか取り出したローションの蓋を開けて、彼は手のひらの上に半透明の液体を垂らし始めた。その見せつけるような緩慢な動きに、いち早く彼の意図を察して血の気が失せる。
「……だ、めだ! やめろ! 汚い、から……っ」
 国広は煌めく金髪を振り乱しながら、悲痛な声で制止の言葉を吐いた。それだけは嫌だ。まだそこは綺麗にしていない。そんなところを見られるくらいなら舌を噛み切って死んでやる。散々暴れて抵抗するも、長義は嬉々として国広を俯せに押さえ付けてきて、興奮しきった吐息を漏らすばかり。とても正気とは思えない。
「お前に汚いところなんてないよ」
「い、いやだ……!」
 果てはプライドを投げ打って泣きながら懇願するも、結局彼が手を止めることはなかった。構わず尻たぶを広げられて、コンドームをつけた指が無遠慮に入り込んでくる。
「あぁ……っ! ヤダ、やっ……!」
 そこからはずっと悪夢のような時間が続いた。
 尻穴にシャワーを宛がわれ、指先でナカを弄られる。不浄を掻き出されては、強制的に湯を注ぎ込まれ、また吐き出して……というのを繰り返すこと数十分。されど体感的には、その倍以上は長く感じた。固く目を瞑り、ただひたすらに早く終われと願い続けた国広の心は、既にズタボロである。絶対に見せたくないところを見せてしまったし、させたくないことをさせてしまった。その心の傷は大きく、ちょっとやそっとのことでは癒えそうもない。
「ぅっ……ぐ、ぅ……」
「また泣いちゃったの? お前は昔から泣いてばかりだね」
「ひど、い……っ」
「泣き虫のお前は本当に仕方のない子だ……。俺が全部やってあげるから、お前はただその身を委ねてくれればいいだけなのに」
「っ! こんなのあんまりだ!」
 床に這いつくばり、自ら尻を突き出す獣じみた格好。されるがまま良いように蹂躙されたその身体。この屈辱、どう晴らしてくれようか。嫌だと拒めば拒むほど、国広の尻は己の意に反して雄を誘うように長義の眼前で揺れ動く。なけなしの男としての矜持すら、先ほどまでの行為で粉々に打ち砕かれて、もう散々だった。
 いっそ消えてなくなりたい。
 羞恥のあまり、そんなマイナス思考ばかりが胸中を埋め尽くす。
「お前は綺麗だよ。昔から……ずっと」
 ツンと上を向いた、ハリのある尻肉を掻き分けて、長義は散々慣らした蕾を見つめる。
「あぁ、本当に……綺麗だ」
 淡いピンク色をしたソコは、少し悪戯してやれば美味しそうに男の指にしゃぶりついてきた。また、奥までローションを仕込んだおかげで、いきむ度に滴り落ちる粘液が、より淫猥に映る。これは最高の仕上がりではなかろうか。長義は無意識に唇を舐めながら、そう自画自賛した。
 このままここへ己の怒号を埋めたなら、どれだけ――。
「……っ」
「ッア、ぁああ!?」
 ――ずちゅんっ!
 何の前触れもなく最奥まで一気に貫かれた。
 白い太腿がビクビクと大きく痙攣し、腕が体重を支えきれなくなり崩れ落ちる。啜り泣きながら床に這いつくばるその姿は、国広を組み敷く男からすれば、さぞかし滑稽に映ったことだろう。どうにかして体勢を立て直そうとするも、未だ衝撃に身悶える国広の腰はガクガク震えるばかりで、ピクリとも動かせそうにない。
「あ、ん……ッ! ちょ、うぎ……、ィ、ア、アァッ」
 一方、長義は国広の息が整うのを待つつもりはないようで、ぼんやりと虚空を彷徨う翡翠の瞳に光が宿る前に、激しい律動を始めてしまう。
「はぁ……っ! 国広、ぐ、……ッ」
「ま、て……だめ、なんか、アッ、も……、!」
 ぷしゅっ。
 さらさらとした生温かい体液が下半身をしとどに濡らす。潮を噴いたのだと自覚した時、思わず国広は笑った。何故かこの状況が可笑しくて堪らなかったのだ。
「ぁ、はは、……っア、ン!」
「なに、笑ってるんだ、よ!」
「んアっ! だ、て……ふぅ、アッ、」
 これではまるでただの獣だ。己の快楽だけを追い求めてひたすら腰を振り、種をねだり、骨も残さず貪り尽くす。捕食にも似た荒々しい情交に、人らしい思考は存在しなかった。二人は嘗てないほどの貪欲さと激しさで、互いの存在を喰らい合う。
 長義の怒号が、あと少しで抜けてしまいそう、というところまで引き抜かれて、再びゴリゴリと前立腺を抉りながらナカへめり込んでくる。とてつもない快感が脳髄を駆け巡り、肉壁が狂喜して肉棒へむしゃぶりついた。頭がおかしくなりそうだ。苦しい、痛い、それ以上に気持ちいい。全身が性感帯になってしまったかの如く鋭敏になって、乱れた吐息が肌を掠める感触にすら快楽を拾った。
「んぁ、ぅう……っ! ちょうぎ、ちょうぎ……っ!」
「ぐ、ぅ……締まる、……ッくにひろ、」
「あ、すき……っちょうぎ、ア、すき、ぃ……」
「ッ! ふ、」
 ガブリ、と肩に噛みつかれた。
「ヒ、ぅッ!」
 血が出たのではないかと思うほどに強く、食いちぎらんばかりの力で。それはあからさまなマーキングだった。これは俺のものだ。誰にも渡さない。俺だけの獲物だ。他に奪われてなるものか。そんな独占欲に塗れた醜悪な愛咬に、されど仄暗い悦喜が沸き起こる。
「くにひ、ろ……」
「んん、」
「く、……はぁ、はっ……くにひろ、くにひろ」
 胸が痛くなる切なげな声で、己を呼ぶ男が愛おしい。その身体をぎゅうっと強く抱き締めてやりたいのに、そう出来ない現状がもどかしかった。
「ん、……イく……ッ」
「ちょうぎ、ぁ、俺、も……ッァア!」
 ビュクビュクッ!
 国広が果てると同時に、ゴム越しにナカへ精が吐き出される。じんわりと内側へ滲む温かいものが、最後の一滴まで絞り出された頃。力を無くした剛直がずるりと引き抜かれていった。
「か、ハ、」
 目の前に星が飛んだ。頭が真っ白になって、強烈なオーガズムに意識が遠のく。ぐらり、と身体が横に傾いて、倒れるのだな、と他人事のように感じたその時――脱力した肢体が床へ打ち付けられる前に、背後から伸びてきた二本の腕が国広を受け止めた。
「よく頑張ったね……」
 良い子だ。
 それまでの激しさが嘘のように、そっと頬へ口づけられる。そのまま顔中にキスの雨を降らすと、男はシャワーのレバーを上げた。そして、国広がうとうとと微睡んでいるうちに、甲斐甲斐しく頭のてっぺんから爪先まで、丁寧に洗い上げてゆく。
 国広はただ、されるがままだった。
 物言わぬ着せ替え人形みたいに、長義があれこれ世話を焼くのをじっと眺める。抵抗するほどの気力が無かったというのが一番の理由だが、拒んだところで今更か、と開き直っていたのもあった。何せ洗浄だってこの男にされたのだ。こうなってはヤケだ、ヤケ。もうどうにでもなれ……。
「長義、」
「ん?」
「……動けない」
 ん、とちょっとした意趣返しに男へもたれかかる。すると、ぐっと糖度の増した甘やかな声で、長義が囁いた。
「ふふ、わかった。俺が全部やってあげる」
 だから後のことは俺に任せて、今はおやすみ。
 ぽたぽたと雫を垂れ流す金髪を撫でられ、次第に強まってゆく眠気に特に逆らうこともなく身を任せる。ややあって絶対的な安心感に包まれたまま、国広は意識を飛ばした。男の目論見通り、思考を完全に停止させて。
「……はぁ、可愛い」
「……ん、」
「このまま閉じ込めてしまおうか」
 流しっぱなしにしていたシャワーを止め、長義は国広を抱き上げる。バスルームから出ると、大判のバスタオルで軽く水気を拭き取ってから、風邪を引かぬよう眠る国広にバスローブを羽織らせた。このまま俺がいなければ何も出来なくなってしまったらいいのに、なんてとんでもないことを考えつつ、男は腕の中ですやすやと寝息を立てる愛し子へ、また幾度もバードキスを落としていく。
 ちゅうっ。
 最後に仄かに上下する胸元へ、真紅の花を咲かせてやって、長義は深いため息を漏らした。疲労が滲むそれはどこか恍惚の色を帯びている。長義自身、己が末期である自覚はあった。悔い改める必要性は今のところ感じていないが。
「間抜けな顔」
 つん、と柔い頬を突いて、苦笑する。
 こんなどうしようもない男を受け入れてしまったのだ。国広には諦めてもらうしかないだろう。もし彼が他に目移りしようものなら、今度こそ首輪を嵌めて傍に縛り付けておく自信があった。片想い歴十数年の拗らせた男を舐めないで欲しい。
「……指輪は当然として……家、か」

 この数年後。国広は百本の薔薇を抱えた男からプロポーズを受けることとなる。

 普段の取り澄ました顔から一変、手元の花に負けず劣らずの真っ赤な顔をして手渡された花束には、金色に光る一本の鍵が添えられていた。
 これは何の鍵かといくら国広が尋ねても、長義は頑として口を割らず。されど半ば拉致に近い形で連れられた東京郊外の某地には、これこそが答えだと言わんばかりに、一軒のログハウスが建てられていた。そして、その外装や内装は、観光名所として自治体に寄付してしまった、国広が兄弟たちと建てた家によく似ていたという。
「お前って、偶にズレたことをするな」
 照れ隠しにそんな可愛げのないことを言ってしまい、青筋を立てた長義によって、足腰立たなくなるまで責め立てられることになったのは、また別の話。
《二十年目の初恋、ついに終幕!》
 いつの間にか事務所やら世論やらを味方につけた長義に外堀を埋められ、国広が彼の正式なパートナーと周りに認識されるようになったのは、そのまたさらに数ヶ月後――国広が芸能界に復帰しめでたく十年目を迎えた、よく晴れた夏の日のことであった。

【Scandalous Love 完】

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