Epilogue
ギラつくネオンに群がる羽虫。
扇情的な視線を向けてくる客引きの女。
無人の交差点、明滅する赤信号。
「うぁぁぁぁあ!」
蔓延する退廃的な空気を裂くように、野太い悲鳴が木霊する。されど誰も振り返りはしない。それが夜の帷の下りた無法地帯の、日常であるからだ。
「これで最後か?」
白煙が揺蕩う。男の頭を踏みつけにした白銀の獣が唸った。
「恐らくは……」
「……チッ。ここまで数が多いとは」
「日頃の行いじゃないか?」
靴音が響いた。
繁華街を抜けた細い路地裏に、乾いた音が反響する。暗がりから影のように姿を現したのは、艶やかに輝く金糸雀色の髪を靡かせ、翡翠の瞳を嵌め込んだ、人形の如く美しい青年だった。一方、獣は唐突に現れた存在に驚く素振りも見せずに、すかさずその白く柔らかい喉笛に言葉で噛み付く。
「あまりナマ言ってると抱き殺すぞ」
「悪いな、昔から腹上死だけはしないって決めてるんだ」
「日に日にふてぶてしくなっていくなお前は……」
明らかな嘘に獣は呆れたようにため息を落として、再び足下の男の方を見やる。
「さて、秋山……だったかな? 無駄な悪足掻きをご苦労様」
「……っ離せ! 俺は知らない! 何もやってない!」
自分に注目が集まったとわかった途端、ジタバタと暴れ出す小太りの男。古めかしいダボついたシルエットの黒スーツを纏うその男は、つい昨日まで長船の幹部であった裏切り者だ。
表面上は長義派を謳っていた秋山はその実、裏で光忠派と繋がっており、長船のシマの乗っ取りを目論んでいたチャイナが流した薬物の存在を黙認しただけでなく、あろうことか現組長の暗殺も計画していた。仁義を重んじる裏社会の掟の中でも、親たる存在の組長殺しは重罪である。楽に死ぬことを許されないくらいには、タブー視されている行為だ。その禁忌を、秋山は犯した。よって、それなりの制裁を受けるのは当然の理である。
「本当に何も知らない奴はね、ぽかんとした間抜けヅラで情けなく俺を見上げるのさ。どっかの誰かさんみたいに」
「……誰のことやら」
「お前だよ、お前」
車のヘッドライトがチラつく。徐々に近づいてくるエンジン音は、地べたに転がる男にとって死神の足音のように聞こえることだろう。他人事のように考えて、青年は天を見上げた。
星は見えない。
滲んだ水彩絵の具のように縮れた灰色の雲が、欠けた月の前を素通りしていく。お世辞にも綺麗とは言えない曇天。しかし、青年はその何処か欠けている在り方を好ましいと思った。潔癖なまでの青空は、暗がりに棲む己の目には眩し過ぎるから。
「国広、行くぞ」
「……あぁ」
地べたを舐めるように走る黒塗りのベンツが、音もなく二人の前に停められる。静かに開け放たれた扉の向こう側では、延々と続く暗闇がぽっかりと口を開けて待ち構えていた。吸い込まれるように白銀の獣はその中へ消えてゆき、金糸雀色の青年もそれに続く。
車内で燃ゆる、小さな灯火。
白煙を吐き出して、移ろう窓外の景色を眺めた。
「どうした?」
「いや……なんでもない」
ここは、混沌としたアンダーグラウンド。
また今日も、この街のどこかで人が消えてゆく。
一方で、存在しないようでしている誰かが、濁った曇り空の下で、そっと息をしている。